読書日記

2002年05月05日(日) 日垣隆「敢闘言(さらば偽善者たち)」(文春文庫2002/04/10)を一気に読了。

日垣隆「敢闘言(さらば偽善者たち)」(文春文庫2002/04/10)を一気に読了。
まず当たり前のことを当たり前のままにとどめておかない精神の活動を強烈に感じた。賛成できなかったり判断に迷う点もあるが圧倒されてしまった。
読後の余韻は強く、読み残していた「情報系これがニュースだ」を本棚から取り出し部分的に読み直し、近所の本屋に出かけ「偽善系�供弊亀舛量J�にご用心!)」(文藝春秋)と「それは違う!」(文春文庫)の二冊を買ってきた。
と、ここまで来て『「買ってはいけない」は嘘である』だったのかと気がついた。一時その名前を意識したことがあったのだが、これほどのオールラウンドプレイヤーとは認識していなかったのだ。
全くジャンルは違うが、去年の佐伯泰英氏に続いての気になる作家である。




2002年05月04日(土) 日垣隆「敢闘言」を購入。

日垣隆「敢闘言(さらば偽善者たち)」(文春文庫2002/04/10)を購入。
久しぶりに寄ったコーチャンフォーにて購入。この大型書店には買いたかった本は品切れ、予定もしていなかった本を買ってしまうというジンクスがあり、今回もケイブンシャ文庫の佐伯泰英の新作を買うつもりで寄ったのに「やはり」なくうろうろしているうちに「敢闘言」を発見した次第。
今年の二月に「情報系これがニュースだ」(文春文庫)と同様少し拾い読みし、目次を眺め、「はじめに」を読み、決定した。
おそらくはっきりした文章に魅力を感じたのだろう。
昔愛読した谷沢永一の「紙つぶて」も歯に衣を着せぬ文章が良かった。
「敢闘言」は実に面白そうなコラム集だ。



2002年05月03日(金) 佐伯泰英「妖怪狩り(夏目影二郎始末旅)」(光文社時代小説文庫2001.11.20)をとうとう読了する。

佐伯泰英「妖怪狩り(夏目影二郎始末旅)」(光文社時代小説文庫2001.11.20)をとうとう読了する。
その強烈な仕事ぶりから妖怪と呼ばれ恐懼されている御目付鳥居耀蔵が今回の敵である。毎回見事にその敵を狩って大団円を迎えていたが、今回は次巻に続くような終わり方だった。妖怪の下に連なる者たちはほぼ討ち果たし事件そのものは解決させたものの、超大物たる妖怪を斬るところまでには至らなかったのは、背景の政治的陰謀の奥深さによるものである。
時代劇といっても時代は爆発寸前いや幕末寸前ともいうべき千八百三十九年に設定されているので、シリーズ第五作は「幕府狩り」しかない。
それとも「水野狩り」?
「古着屋総兵衛」「金杉惣三郎」「夏目影二郎」と続けて読んできた。どれも読み出したら止められない面白さである。
その共通性の中で「狩り」シリーズが歴史小説に近づきながら同時に時代冒険小説であり続けるという至難のことをなし遂げつつある。立場のはっきりしている総兵衛や惣三郎と異なり影二郎は二面性を持っており微妙である。幕府の高官たる父親の庇護の下で今のところは動いているにしても、そこから抜け出る自由は影二郎にはある。
このあたりがもしかしたら著者の数あるシリーズの中で見過ごすことのできないものになる可能性の源に、きっとなる。
それにしても大事にとっておいた三冊なのにもう読んでしまった。
自分が何か事故にあったり、事故を起こしたりしたらこんな贅沢な時間は過ごせないのだからまあこれはこれでいいのだが。
突然失明したら大事に取っておく事はすべて無意味になるし。
大病をして・・・
自動車には毎日乗っているのだから・・・
考え出すと・・・



2002年05月02日(木) 「小説現代」と「小説新潮」を拾い読み。

「小説現代」と「小説新潮」を拾い読み。
病院の近くにある古本屋で最近5カ月分の両誌を購入。興味のままに拾い読みを続けた。今をときめく作家たちの新作が読めるという特典がある。
一冊にまとまってから読むのもいいがこれも格別である。
印象に残ったのは多種多様なエッセイで、十冊を取っ替えひっかえ読み継いでいくのは心地よいものだった。
佐伯泰英氏のように書き下ろし一本の作家は別にしても、こういう雑誌や週刊誌が出版社や作家の生活を支えているのが見えたような気がする。
確かにこういう雑誌はたいして売れてはいない。しかし、売れてはいなくてもいろいろなものを支えているのは間違いないはず。
昔、植草甚一氏が中間小説時評を書いていた頃が思い出される。


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