白月亭通信別記
老い先短い残照の日々、
おりふしの所懐を、
とりとめもなく書き留めて…

2005年06月27日(月) 木曽義仲

 木曽義仲が討ち取られたのは元暦元年(1184)1月22日だったがテレビでは昨夜最期のシーンが放送された。義経の手勢が射た矢で額を打ち抜かれドクドクと血が流れる凄惨な場面に思わず目をつぶった。平家物語は原文で読んだほうがよい。高校の「古典」の授業を思い出しませんか?

「遠からんものは音にもきけ、近からん人は目にもみたまへ。木曽殿の乳母子に、今井の四郎兼平とて、生年三十三にまかりなる。さるものありとは、鎌倉殿までもしろし召されたるらんぞ。兼平討つて兵衛の佐殿の御見参にいれよや」とて、射残したる八筋の矢を、さしつめひきつめさんざんに射る。死生は知らず、やにはにかたき八騎射おとし、そののち太刀を抜いて切つてまはるに、面をあはするものぞなき。ただ、「射とれや射とれ」とて、さしつめひきつめ、さんざんに射けれども、鎧よければうらかかず、あきまを射ねば手もおはず。木曽殿はただ一騎、粟津の松原へかけたまふ。ころは正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷ははつたりけり。


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