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文章の癖
2001年10月25日(木)
最近、自分の文章の癖について考える。
それはやっぱり、Web日記を書き始めたことが大きいなあと思う。自分の文章を人にさらす(しかも不特定多数の人に)、という行為。また、不特定多数(しかもみんな素人)の人の文章を読む、という行為。
そうした中にいると、自分はどう他の人と違うんだろう、どう同じなんだろう、といったことを考えたりする機会が増える。

わかりやすいところで言うと、ひらがなが多い。人にも言われたことがあるし自分でもそう思う。
最初、私は「ひらがなが好きだから」と答えていた。
確かにひらがなは好きだ。好きなバンドのメンバーを私はいまだにひらがなで書くのが好きだ。
でも、この間BBSに書き込みをしようと下書きを書いていて、それだけではないことに気付いた。ぱっと見、とてもひらがなが多いように見えたので、もうちょっと漢字増やそうかな、と思った。でも、それ以上増やしたら不自然に思えるくらいの漢字変換率(何それ)だったのだ。
私はちょっと考えた。そして、熟語が少ないのかなあと思った。「読了」と書けるところを、「読み終わった」と書く。「本当」は「ほんと」と話し言葉に近くなる。「だなあ」とか、語尾も話し言葉に近くなる。などなど。

それから、私の文章というのは文脈がだらだらとわかりにくくつながってしまう。
それは、そこに至るまでの思考を逐一過程としてあらわそうとしてしまうからなんだと思った。頭の中では、接続詞だの語尾だのは、明確に思い浮かべなくても進んでいくものでしょう? それをそのまま書こうとするのがいけないんだな、と思った。
思考の過程はそうでも、人に理解してもらうには、それを入れ替えたりして文章を組み立てることが必要なんだな、と。
…って、そんなことは当たり前なのでしょうか。今更そんなことを思ってる私はよっぽど頭が混線してるんでしょうか。

作家でたまに、ずっと止まらないで書き続ける、とかいう人がいるけど(栗本薫とか)、そういうの信じられない。
なんでかなあ。そういうことが自然にできてるなんて羨ましい。私の頭はそんなに理路整然とした文章でなんか構成されていない。そういえば、筒井康隆の「家族八景」は、他人の思考ってこんななってるんだ?とびっくりしたことを憶えている。言葉じゃなくて絵で思考する画家とか出てきて、新しい世界を覗いた気がした。

そんなことを考え、最近わかりやすい文章を書くように心がけている次第です。
(わかりやすい内容かどうかはいいのです。私は書きたいことしか書かない。)


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