イブの流した涙
▼▼▼今回の一言▼▼▼
財布の中身(レシートとかカードの類ではない)がみるみる減っていく

○そのうちに、2003年12月27日(土)「注文をとらない料理店」を完成させる予定

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感想専門の日記です

▼▼▼森博嗣▼▼▼
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完結編だそうです
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◎オススメは「MATEKI−魔的−」(詩集、PHPより発行)です
というより僕が好きなだけ

宝生出演の舞台観ました!(7/26)
詳しいことは月曜の日記にて
・・・と思ったけど
やっぱり水曜の日記分に書きます
と言ってて、未だに書いていない
そのうち書きます
それにしても、もうすぐ一週間経つのか
・・・もうすぐ三週間か
・・・もうすぐ四週間か
・・・一ヶ月越えたな
・・・それどころか二ヶ月経ったな
・・・もうすぐで三ヶ月だよ
・・・経ったな、三ヶ月
そして四ヶ月が過ぎ・・・
半年が過ぎ・・・
七ヶ月が過ぎ・・・
そして八ヶ月(一年の2/3)が過ぎ・・・
驚いたことに十ヶ月が過ぎ・・・
もうとっくに一年経ち・・・
一年と二ヶ月が経ち・・・
二年と二ヶ月が経ち…

2003年05月26日(月) 思考錯誤

「映画を観るということは、まったく並ばない状態…言い換えるなら<マイナス行列>の状態である。」
映画があまり好きでない友達が、映画が嫌な理由の一つとして<二時間じっとしているのが辛いから>と言った。
そしてその後、こう続けた。
『ファーストフードでも人が並んでると、(並ぶのを)やめちゃうからね。それと同じでさ…どう同じなんだ?』
自分で言っておいて関連性に自信が持てなくなったのか、彼はそう言った。
しかし、僕は二つの事象は密接に関連していると思う。
つまり、同じ状態で体勢を維持するのが嫌なのだろう。
ただ、互いの目的には違うニュアンスがある。
二時間座り続けるのは、映画を観るためである。
行列に並ぶのは、食べ物を買うためである。
映画を観るのも食べ物を買うのも人の<目的>であるが、食べ物は食べ物を買ってお終いなのではない。
もう一つ、食べる、という作業が必要になってくる。
行列に並ぶことの方が、一段階、最終の<目的>から遠い作業であるので、こちらの方が
作業自体に無駄を感じやすいだろう。
そういう意味では、関連性は<ない>とも言える。

「『マイノリティ・レポート』が、もし「少数報告」というタイトルだったら」
きっと、人(観客)は入らない。

「<究>の字の表示」
友達に、<究>の字が氏名に使われている人がいる。
彼の名前をメールなどに打つ場合、<究明>と一旦表示させてから<明>を消去する手筈をとっている。
しかし、たまに<究明>が思い出せない場合がある。
そんな時、仕方が無いので<研究>と打つ。
何が仕方が無いのか?
それはカーソルを戻す手間がかかるからである。
よって、一旦<研究>と表示させてから彼の名前を打ち込んだ場合、私は気分がブルーになる。
手間がかかったことに対してではなく、スムーズに事を為し得なかった自分に。

「性格もっちり」
とあるCMで、自分がねばり強い性格であることをこう表現していた。
<僕は性格がもっちりだから>
なんだかねばり強いだけでなく、おっとりともしていそうだ。

「ラーメン・クイーン」
こういう称号をつけられた人が、食べ歩きガイドのような雑誌に載っているらしく、その人が紹介した店は必ず流行るようになるという。(いつまでかは知らないが)
このクイーンは、一体何者なのか?
単なる素人なのか?
それとも出版関連の会社の人間なのか?
なんだかよくわからない。

「ディカプリオ、トム・クルーズとベッカム、イアン・ソープ」
僕は後者のいい男より、前者のいい男の方が好きだ。
それぞれには共通項があり、前者は俳優、後者はスポーツ選手である。
なぜ俳優の方がいいのか?
少なくとも、後者のいい男っていうのは、ハンサムながらも、何やら飼い慣らされた感じのハンサムであるような気がするのである。
つまり、平均的な良さ、とでも言うべきか…
ハンサムすぎて、整い過ぎて、なんだか嫌なのである。
自分がいい男でないからって屈折しているのか?
でも前者だっていい男でありながら、どちらも特色がある。(様な気がする)
ベッカムがスクリーンに映ったって、映えなさそうではないか?
やはり僕は、色の濃い人が好きなのだろう。(わかりづらい表現だろうか?)

「スポーツはやるべきか、やらぬべきか」
僕は、<やるべきだ>派の人間である。
ただし僕がスポーツをやるわけでない。
それはスポーツが好きな人がやるべきだ、ということである。
スポーツの話で行くと、どうせ好きならスポーツを観ているばっかよりも、やってこそではないか?ということが言いたい。
『スポーツを観るのが好きで…やりはしないけど。』
そういう人がいるが、それでは何か不健康な気がしてならない。
好きならやろうよ!という話である。
ちなみに僕はスポーツが嫌いである。
そしてどちらにも興味が無い。
ただし、映画には興味がある。
だから、いずれ映画を撮りたいと思う、DVカメラで。
それか手軽な範囲の機材をどこかでレンタルしたい。
そして創りたい。
どう考えても創りたい。

「おっぱいが、トレるとする。」
我ながら、ショッキングなタイトルだと思う。
乳がんにより切除した経験のある人には申し訳ないかもしれない。(それを連想させる危険性があるからである)
しかし、まったくそんなことについての考察ではない。
女の人は、多かれ少なかれ…いや、大きさは様々であってもおっぱいがある。
きっと走る時には、特に大きければそうであるほど走りにくい様に思う。
ではおっぱいは、何故あるのか?という疑問に突き当たる。
それは基本的には生まれてくる子供のためであると思う。
それならいっそ、子供が生めなくなる年齢になったらトレる、というのが自然な流れではないか?
だってミルクだって出なくなるし。
ハリもなくなるし。
それでも尚、ついているのは何故か?
僕としてはかなりの謎である。
そんな疑問を母親に投げかけたところ、彼女はこう言った。
『年取ってなくなったら、女優とかはカッコがつかなくなる』
しかし、それはトレないのが当たり前の世の中だからそう感じるだけで、トレるのが当たり前の時代なり世の中であれば、そんなこと気にならないだろう、と答えた。
僕は間違っているのだろうか?

「業界用語」
業界人でない僕にとって、業界用語はなんだか嫌なものである。
たまに普段の生活の中でそんな言葉をつい使ってしまうが、そんな自分が嫌である。
しかし、業界人であれば、使っていることが不自然ではない。
それでもそういう世界と離れている素人の目からは、ソレは不自然に思える。
ソレを使っている業界人をテレビなどで垣間見る度、何か違う世界を覗いているような、そんな気分にさせられる。
そう…<させられる>から嫌に思えるのである。
つまり受け身ではそう感じてしまうのである。
染められてしまう感じが嫌なのだとでも言えばいいのか。
しかし、自分から染まりたいのならそれはO.K.だろう。
ただし、業界人でもない僕が業界用語を使うのは、何かを飾っているような気がして嫌である。
だから、僕は業界用語を使いたくない。

「ウェブ日記というもの」
まさにこの文章はウェブ日記に載っているものである。
まさか自分のうちのデスクトップにしか映らない、というわけではないだろう。
そもそもウェブ上に公開しているものを<日記>と言えるのだろうか?
紙のノートにペンで書き記すものと違い、公開している以上、従来のソレとは体質的にちがうものであるのは間違いない。
しかし、僕はこれが日記であろうがなかろうが、とてもいい場所であるような気がしてならない。
人に閲覧される可能性がある以上、ある程度見せても恥ずかしくないものにしないといけない、と感じながらコレを打っていくのは、自分の考えをまとめるのに丁度いい。
従来の紙とペンの日記では、そういう<人に観られる>という一種の恐怖がない分、読み返してみてもつまらなくなってしまう。
少なくとも僕はそうである。
あと、ノートを探す手間も省ける。(置く場所決めとけよ!という話である)
本来、日記は面白いものを書く場所ではないのかもしれない。
しかし、僕はなるべく画一的にならないような、エッセイのようなものを気が向いた時に書きたいと思っている。
コレが日記でないとしても、僕はココに思いを吐き出したいというのは大袈裟であるけれど、恐怖を感じながら書いていきたいと思う。
それはまるで、世間という得体の知れない中に、僕が身を寄せるかのように。

「連続ドラマ『日常』」
僕らは皆、<日常>というドラマの中で俳優なり女優をやっている。
それは現実の事なので、一応リアルなことだといえる。(リアルに感じれないことも多々あるが)
そして、本当のドラマ…つまりテレビや映画で観る作り物の方のドラマにも、リアルというものは求められている。
二年前のアメリカでの動じた初テロ…失敬、同時多発テロを観てしまった瞬間、これ以上のものをどうやって作れというんだ?絶対勝てやしない!とあるドラマの演出家は思ったという。
確かにそう思う。
一体今後、作り物のドラマには何が求められるのだろうか?
<日常>というドラマ以上のものを作るには、かなりの表現力が強いられそうである。

「テリトリー」
大抵我々の家族は夜をキッチンで過ごす。
祖母は自分の座る場所の前のテーブルの上に、自分以外のものがあると気になる人であるらしい。
僕のコップが付近に置いてあったらしく、ソレは目立たないところへと移動されていた。
人は、そして動物でさえもテリトリーというのには敏感だよな…
そんなことを母と話していると、ふと彼女はこう言った。
『あゆ…<アユ(浜崎)>じゃないよ、魚の…も自分のところに近寄ってくる敵には…』
確かそんなようなことを言っていた。
それを聞いて僕は言った。
『あっちのアユ(浜崎)もテリトリーにはうるさいだろうね…というよりも取り巻きがか…とにかく近づいてくるファンを追い払う感じが鮎と似てるよね』
そして次に動物もののドキュメンタリーで、あざらしは、自分以外の子供が近づいてくると、猛烈に攻撃にかかる様子を思い出した。
そんな事を思っていると、母はこう付け足した。
『SARS(現在流行中のウィルス)なんてテリトリーが広くてしょうがない…』
僕は相手をなぎ倒すかのようにテリトリーを広げるSARSに唖然とした。

「取り巻きの嫌らしさ」
前の話に取り巻きのことが出たが、芸能人の取り巻きというのはどうもいい気がしない。
よくある『あのちょっとそこどいて〜どいて〜』と言っている人達のことである。
特に女優の取り巻き。
もちろん悪質なファンから身を守るため、取り巻きはそれなりの対処を施さなければならない。
しかし、守られている女優が、さもそれが当然である、という表情をすると、いい気がしないどころか『お前に近づきたくなんかないよ!』と言ってしまいそうな気分になってしまうかもしれない。(どっちやねん)
無条件に悪役にならざるを得ない取り巻きが、感じ悪く映ってしまうのは仕方がないにしろ、せめて守られている女優の態度だけは何とかして欲しい。

「会話スパイラル」
『あの何だっけ、デフレ何とか…バトルロワイヤル、デフレロワイヤル?』
『デフレスパイラルでしょ?』
『あぁそうか』
『ちなみに映画の「リング」は英語だけど「らせん」が「スパイラル」でないのってどうしてなんだろう?何となく「らせん」の方がしっくりするけどね』

―END―

ついしん
今日はたっぷりめとなっております・・・ってついしんで言ってもしょうがないか。


 < シーラカンス  everyday history  光の射す方へ >


ダーZ [MAIL]

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