| 2004年10月03日(日) |
イチローに「歴史塗り替えた」と最大賛辞 |
癒しの森415
今日の報道はイチロー一色だ。米メディアは、イチローに「歴史塗り替えた」と最大の賛辞を贈った。地元紙シアトル・タイムズ(電子版)は、試合の様子や観客の熱狂などを詳報。「遠く離れ、何の共通点もない2人の男(イチロー、シスラー両選手)が、野球を通じて、何十年もの時を超えて結びついたして、84年ぶりに記録を更新したイチローを称賛している。更に「イチローのおかげで、(シアトルの)ファンは、今まで見たことのないような野球を見られて幸運だ」などの報道が溢れている。マリナーズの地元、シアトル・ポスト紙は84年ぶりとなった新記録を「不滅の偉業」と手放しでたたえている。
ここではイチローの記者会見の一部を引用したい。
――記録達成への原動力は何か。 野球が好きだということ。今季は、チームが厳しい状況で、そこから自分のモチベーションを作らなければならなかった。プロとして、勝つことだけが目的ではない。勝つことだけが目標の選手だったら、今回のようなことは無理だった。それは自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。 ――野球少年へのメッセージを。 僕がこちらに来て思うのは、体がでかいことに、それほど意味はないということ。大リーグでは、僕は一番小さい方だけど、こういう記録ができた。日本の子供にも、アメリカの子供にも言えると思うけど、大切なのは、自分の持っているものを生かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。 ・それぞれの 秘めたるものを 生かすこと そして広がる 勝利の翼
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「ぼく、どうしても野球がやりたい」8歳の決心 84年の時を超え、伝説の男に。大リーグ年間最多安打記録を塗り替えたシアトル・マリナーズのイチロー(30)。1920年にジョージ・シスラーが257本を打って以来、破られることのなかったベースボールの本場の“重い扉”を愛知県の野球少年だった「鈴木一朗」がこじ開け、米国や日本を熱狂させた。「僕の野球人生の中で最高に熱かった」と、喜びを語ったヒーローの「野球人生」に迫った。(徳光一輝、森本昌彦)
≪目標≫ ■「甲子園でなく、プロに」 「ものすごい感激。体が震えた」。イチローの父、鈴木宣之さん(六一)は息子の快挙に興奮と感激を隠せなかった。「小さいころから友達と遊ぶ時間を削って練習してきた。マンツーマンで練習をしてきたことが頭を駆け巡った」 イチローが「ぼく、どうしても野球がやりたい」と父に打ち明けたのは、愛知県名古屋市の北隣、豊山町立小三年になる直前の八歳のときだ。 物心つくころから宣之さんのひざの上でプロ野球中継を見て育った。 確実な打撃で、イチローが少年時代を送った昭和五十年代の中日を引っ張った田尾安志選手(五〇)=平成三年引退=にあこがれた。「田尾選手みたいになりたい」。愛工大名電高時代の監督だった中村豪さん(六二)は「上手に田尾のものまねをした。いまの左ひじの張り方は、田尾ゆずりじゃないかな」と話す。 小学三年から地元のスポーツ少年団に入団。宣之さんは右利きの息子に左打ちを覚えさせ、中学卒業まで七年間、トスバッティングの相手を務めた。一緒にバッティングセンターへ通い、朝晩の足裏マッサージを続けた。少年団では投手として全国大会に出場した。 小学六年の卒業文集。「夢」という題の作文を書いた。 《ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。…球団は、中日ドラゴンズか、西武ライオンズが夢です。ドラフト入団でけいやく金は、一億円以上が目標です…》(宣之さん著『溺愛』から) 中村さんも「彼は目標の設定が明確だったですね」と振り返る。高校の野球部に入部するとき、イチローは「甲子園じゃなく、プロ野球の選手にしてください」と中村さんに頼んだ。試合が終わって中村さんが「よくやったな」と声をかけると、イチローは「もう済んだことです」とクールに答えた。「次の目標への切り替えの早さも際立っていた」という。 作文の六年後、ドラフト四位で入団したオリックスとの「けいやく金」は四千万円。四百三十万円だった年俸は、二百十本安打の日本新記録を樹立した三年後、一億円になった。
≪頭脳≫ ■少年時代から「考え抜く」 自宅から車で五、六分、名古屋空港そばの「空港バッティングセンター」は、イチローの打撃の原点だ。 小三から中学卒業まで七年間、宣之さんと夕食後、毎日通った。一日最低五ゲーム、百二十五球以上。帰宅後「お父さん、もう一度行こう」と納得するまで打ち込んだこともあった。立つ位置を変え、内角や低めの打ち方を練習するなど、少年時代から考え抜く野球を心掛けていた。 「木製バットはほとんど同じところにボールが当たり、同じ部分が欠けていた」と従業員の石井一三さん(六一)。打撃センスも少年時代からさえていた。 考え抜く「イチロー流」は、オリックス時代も引き継がれた。シドニー五輪の野球で代表に選ばれたが、辞退。「わがまま」との批判も出た。 イチローは当時の球団代表、井箟(いのう)重慶さん(六九)に「選ばれて光栄だし、会社が行けといえば行きますけど、帰ってきたらぼくの調子が崩れることがあってもいいですね」と告げた。 五輪の試合はパ・リーグとはストライクゾーンが異なる。帰国してしばらく、打率が落ちたり、チームが大事なところで打てなかったりするかもしれない。会社は覚悟の上で自分に行けと言うのか。理路整然と話すイチローに、井箟さんは「こっちも考えちゃうよね」と振り返る。 中学時代からグラブをオーダーしてきたスポーツ用品メーカー、ミズノの坪田信義さん(七一)は「現代の名工」にも選ばれ、大リーガーが「マジックハンド」と呼ぶ。その坪田さんにオリックス時代、「柔らかい素材を使う」「軽く作る」「よくグラブが開く」の三つの注文をつけていた。 大リーグ移籍後、日本と比べて芝の密度が濃くバウンドの難しい米国の球場に合わせ、「お椀(わん)のような形がほしい」との注文がきた。さらに今シーズン、「手を入れる部分の幅を五ミリだけ広くしてほしい」。坪田さんは改良して届けた。 「『デザインを変えてほしい』という選手はいてますが、こういう注文はあまりない。研究しとる」と坪田さん。考え抜く野球は少年のころと変わらない。
引用�◆.ぅ船蹇次▲灰瓮鵐� 「チームメートの祝福に熱くなった」 (心境は)ちょっと言葉にできません。少なくとも僕の野球人生では最高の瞬間でした。こうしてヒットが出てみると、オークランドで出なかったことは良かったと思いますね。(ジョージ・シスラーの家族には)とにかくシアトルに来てくれてありがとうございました、ということを伝えただけです。シスラーさんは会えて光栄だと言ってくださいました。ここまで足を運んでくれて感謝しています。(タイ記録を達成した後、守備でいいプレーがあったが)僕もファンの人に乗せられていたので、ああいう思い切ったプレーが出ました。結果的にはケガをしなくて良かったです。(新記録の瞬間、チームメートが祝福してくれたが)普段はなかなか言葉でコミュニケーションはできないですけど、こういうときにチームメートが熱い思いを表現してくれて、普段は感じられない言葉では分かり得ないものがあって、僕も熱くなりました。
まずは一緒にシアトルにいる妻・弓子と一弓(愛犬)に感謝したいと思います。それから両親や友達にもお礼を言いたいです。
あと残り最高でも10打席になると思いますので、1球1球、1打席を大事にしたいと思いますし、僕にとって最高の野球シーズンの最後を、しっかりとした形で終わらせたいです。(プレッシャーについては)この前ホームスタンドでプレーしたときはすごくプレッシャがありましたし、胃が痛くなった程度のことはありましたが、それ以外のことはなかったです。
チームは僕のいる4年間で1番悪い成績でしたが、これだけモチベーションを保って野球ができたのは、シアトルの熱い声援があったからだと思っていますし、4年目にしてまたこの町が大好きになりました。
引用�� 10年前から狙った大記録=イチロー 日本でも、米国でも、誰一人として登ったことのない高みに立った。第1打席に強いダウンスイングで弾ませた打球が三塁手の頭上を越えて左翼へ。タイ記録の年間257安打目はイチロー特有の当たりだった。続く第2打席は中前へ抜けるクリーンヒット。「最初の(打席の)方が重かった。背負っているものが…。重いものが抜けていくような。いろいろな感情があった」。本人にしか分からない重圧の大きさが想像できた。 ベンチから飛び出したナインに手荒く祝福された。「監督、コーチ、みんなが出てきてくれるなんて…。試合が終わってビールをかけられることも考えもしなかった」と驚いた。ロッカールームでも孤独を貫き、いかに安打を打つかだけを追求してきた。その背中を見てきた同僚たちは、歴史の瞬間に触れたことを幸運に思った。総立ちの地元ファン、84年前の記録を明け渡したシスラーの遺族たち−。自ら「大リーグでは一番体が小さいぐらい」という大打者が、幸せを運んだ。 「257」の数字は10年前から頭にあった。日本記録の年間210安打を放ったオリックス時代の1994年。当時の日本の130試合から考えて、「このペースであと32試合あれば、できるのかな」と大リーグの162試合を既に想定していた。恐ろしい男だ。モリター打撃コーチが「イチは満足することが決してない」という通り、常に上を見る。向上心と言い換えていい。 実際、感動的な新記録達成の後、第4打席には冷静に遊撃内野安打で上積み。次の目標を問われると、「次のヒットが目標。これで終わりじゃない。もちろんですよ」とひょうひょうと言ってのけた。
引用�ぁ‖腟�録達成の瞬間を振り返る 一問一答(毎日新聞) 【シアトル(米ワシントン州)野村隆宏】自ら目標とし、周囲も期待した数字を上回ったことで、イチローは肩の荷を下ろし、試合後はリラックスした表情を見せた。 球団職員が打ち切ろうとするのを、イチロー自身が希望して約30分間に及んだ記者会見では、「僕の野球人生の中でも最も熱かった」と、記録達成の瞬間を振り返った。一問一答は次の通り。 ――大記録を達成した心境は。 僕の野球人生の中でも最も熱かった。野球人生で最高の瞬間。チームメートとはあまり言葉でコミュニケーションができないが、ベンチからみんな出てくれて、熱くなった。(試合後、ナインからビールをかけられ)まさか、最下位のチームで、ビールをかけられるとは思わなかった。 ――記録は、いつから意識したか。 イメージをするようになったのは、200本を超えた後、急に(安打の)ペースが上がった時期があって、普通にやればいけるかなと思った。その後、厳しいかなと考えることもあったが、(9月21、22日に)5本、4本と打って、またいけると思った。 ――01年の大リーグ新人最多安打(242本)、94年の日本の最多安打(210本)とは、違う感想か。 01年に残した数字とは全然違うと感じている。94年は、怖さを知らないでやって、自分よりも何か大きな力が働いてできたことだと思う。04年の数字は、いろんな怖さを知り、それを乗り越え、技術を確立した上で達成した。全く重みが違う。 ――シスラーの家族が観戦に来ていた。 わざわざ遠い所にまで来てくれた。何よりも温かい表情を見せてくれたのが、うれしかった。 ――記録達成への原動力は何か。 野球が好きだということ。今季は、チームが厳しい状況で、そこから自分のモチベーションを作らなければならなかった。プロとして、勝つことだけが目的ではない。勝つことだけが目標の選手だったら、今回のようなことは無理だった。それは自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。 ――野球少年へのメッセージを。 僕がこちらに来て思うのは、体がでかいことに、それほど意味はないということ。大リーグでは、僕は一番小さい方だけど、こういう記録ができた。日本の子供にも、アメリカの子供にも言えると思うけど、大切なのは、自分の持っているものを生かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。 ――記録達成には重圧がかかったか。 僕はやりたいと思ったことはやる。やりたいとか、やれるとか思うと、プレッシャーはかかるもの。注目を苦しいと感じることはない。注目をされないと僕らは終わってしまう。 ――大リーグの最多安打記録の数字を知ったのはいつか。 94年に210本を打った時、大リーグの162試合なら、このペースでいかないとできないのか、と思った。 ――257安打目と258安打目の違いは。 最初の方(タイ記録)が重かった。背負っている感じがあったし、これができないと怖いと思っていた。 ――自身の年間最多安打記録は破られるか。 84年もなかったことだが、ここにやってしまった人がいる。自分がもう一度破りたい。 ――次の目標は。 次のヒットが目標です。
引用�ゥぅ船蹇次∈蚤唇詑嚢洪掘。干簑納圓慳瓦療喘� シーズン最多安打記録を達成したイチローにとって、来季以降の次なる目標は打率4割だ。1941年のテッド・ウィリアムス(レッドソックス)を最後に出ていない4割打者への挑戦。技術的な課題だった内角打ちを克服し、安打数を増やしたイチローだが、四球数を増やして打数を減らすことができるかがカギになる。(大リーグ取材班) イチローが今季、安打数を飛躍的に伸ばした要因について、ロイヤルズでコーチ経験がある大リーグ解説者の高橋直樹氏は「昨年から苦手とされた内角の速球を苦にしなくなった。内角を引っ張って、右方向へ打てるようになったことが大きい」と分析する。 今季の安打を見ると、最も多いのが中堅方向で次いで右翼方向へのもの。外角低めの球を左翼へ打つ技術は大リーガーの中でも屈指だが、右方向への安打数が増えたことが記録達成を大きく後押しした。 イチローのプレーに取り組む姿勢を絶賛する声も少なくない。メジャーで最も優秀なゼネラルマネジャー(GM)との評価が高いアスレチックスのビリー・ビーン氏は「野球だけではなく、すべてのプロスポーツの中で、最も技術、準備に優れた選手。打席前にも入念にウオームアップしている。こんな選手は見たことがない。真のプロフェッショナルといえる」と賛辞を惜しまない。 現役時代に七度の首位打者に輝いたエンゼルスの元打撃コーチ、ロッド・カルー氏も「イチローは動体視力に優れ、バットコントロールがうまいから、どんな変化球にでも当てて、転がすことができる。それが強みだ」と驚きを隠さない。 シーズン安打数で歴代トップに立ったイチローだが、歴代10傑に名を連ねる選手たちと比べると、打率は・373と低い。前記録保持者だったジョージ・シスラー(ブラウンズ)は一九二〇年に記録を達成の際、・407と高い数字を残した。イチローが一日現在の打数(695)で4割の打率を残すとすれば、278安打が必要になる。 果たして、夢の4割は可能なのか。高橋氏は「本塁打を一本も打たなくてもいい、と腹をくくり、内野安打に徹すること。それに、ボール球に手を出さなくすれば可能」とみる。 イチローの今季の四球数は49。ちなみに、ウィリアムスは4割をマークした41年、四球が145を数えた。185安打ながら、打数が456と少なかったため、打率は跳ね上がった。イチローの場合は安打ゾーンが広く、少々のボール球でも安打にする能力があるともいえそうだが、四球が増えれば打数は減り、打率はさらに上がる。 大リーグでの取材経験が豊富なライターの古内義明氏も「四球をもっと多くして、セーフティーバントを増やせば十分可能な数字だ」という。 ただ、高橋氏は「恐らくイチローには4割という数字をはじめ、打率は頭にないのではないか。それより安打を1本でも多く打つ、どんな球でも安打にするという気持ちが強い。今のスタイルにこだわる限り、4割は難しいのでは…」と語る。 進化し続けるイチローが、来季は一体どんな数字を残してくれるのだろうか。 (産経)
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