| 2006年06月15日(木):今日はいろんな言葉をもらった。 |
司さんとのメッセより。 「何かやるときに誰かのためにやるのはだめ。 自分のためにやらないと。 自立から遠のく。 確かにやる気出すには人のためにするのが早いんだけど、 人依存してることにしかならんからね」 「マイペースな人にあこがれる。 人がどう思おうが自分が好きなことをやってるのは偉いと思う。 人に迷惑かけないのが前提だけどね(爆)」
とある人からのメールより。 「例えば夫婦とかで、相手がダメだと感じてしまった場合、だから即離婚ってならない場合もありますよね?
そう言う時に使う方法なんだけど、ノートの左と右に分けて、毎日相手の良いところ(左ページ)悪い所(右ページ)に書いて、よーーーーーーーーく考えるんだって。
一種の自己暗示だけどね。「好きにならないと」って気持ちがあれば、不思議と左の良いところが段々増えて、右の悪い所が減っていくの。」
お友達からの、メールより。 「いいところしか見えなかった時期もあるだろうけど、悪い所も、合わない所も、全部ひっくるめて、相手を見れるってすごく成長したんだと、思うよ。
個人的には、その事をいっぱい考えて、出した答えとか、コーヒーが頑張った成果で、それを、前向きに受け取って、進もうとしてる姿は、正直かっこいいよ。
別れに。 納得がいかなかったのは、一方的過ぎたからだと思う。 理由も、よくわからない。 話も、ちゃんとできない。 突然のコトで、わからない。 一緒の行き先に行く予定だった電車に一緒に乗ったはずなのに、気が付いたら下車されていた感覚なんだと、思う。
基本的に、合わない所が多い人と、コーヒーは長く居れないと思う。
Aのこともあるけれど。「合わない」とゆう事を、時に無自覚に、時に自覚して、それでも嫌われたくないからと、我慢してしまう。 その結果が、もっとヒドイ痛い、中々カサブタにもなってくれないような傷になってしまっていたかもしれない。
だから、今回の、この事は。 なるべくして、なったのかもしれない。 コーヒーが、成長する為の、ちょっと高い、ハードル。 だけど、それを乗り越えたら、きっともっと視界が広がるよ。 無理していたら、続かない。 ともに、進めない。
コーヒーには、転んでも、待っててくれるような、一緒に人生を、「歩む」相手が、必要なんだと、思う。 相手が、早歩きで、立ち止まって待ってはくれても、駆け寄って転んだり立ち止まったりした、コーヒーの手を引いてはくれない人だったりしたら、頑張ってコーヒーはおいていかれないように、早い歩幅に合わせて、疲れちゃって、合わせて、疲れて、転んで、ぼろぼろになって、遠い所で早く来いよって待っててくれていても、きっとそれはとても辛いと思う。
一緒に手をつないで。 歩んでいける人が丁度いいんじゃないかな。 転んでも、待ってるだけじゃなく、手を差し伸べて、時には一緒に立ち止まったりとかして、のんびり、二人のペースで歩んでいく方が、コーヒーに、無理はないと思うよ?
一緒に、歩める人、甘える事を、許してくれる人。 そうゆう人が、見つかるといいね。 コーヒーの、「甘え」は、「ダメ」な甘えじゃないと思うから。 人が腐ってしまう、甘えじゃなく、子供が、家族の温かさを、感じる様に。 コーヒーは、居てもいいんだと、確認したいんだと思うよ。
家事が苦手なら、家事を手伝ってもらったり、すればいいと思うし人間、足りないなら、補えばいい。 完璧な人なんて、居ないよ? 足りないなら、補えばいい。
まだまだ、やり直しは何度でもきくよ。 いっぽ、いっぽ。 歩幅なんて、人それぞれだよ。 のんびりしか、進めなくても、それは、悪いことじゃないよ?
頑張る事は、素敵なことだよ。 でも、無理、しすぎないでね。 お互いに。
私は、少しずつ、結果的に、前向きに、コーヒーが居てくれてる事が、とてもうれしい。 今、コーヒーがコーヒーであれることに、感謝しているよ。
せっかく、生きてるんだから。 一分一秒でも、幸せになろう。幸せにあろう。」 |
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