偽善的信仰
運命を変えることなんて
誰にも出来ない
ただ
主のみが
全てをご存知なんだ
打算や私情をはさまず
時には冷酷に思えるほど
確実に人間の生き様を記し
それに結果を与える
供え物をしたら救われる
お祈りをしたら救われる
そんな宗教観、信仰心なら
無神論を唱えているほうがまだまし
(それもまた傲慢だけどね)
カネやモノで
事実をねじまげるのは
人間だけだよ
つまりさ
供え物をしたから
自分は守られるはず
そういう考えを
「打算」ていうんだよね?
それからさ
教会やお寺という特別な場所では
教えを神妙に聞いていたって
社会に出れば
他人を蹴落としてまで
いい思いをしようとしてるよね
あの人たちのお祈りを聞いていると
「主の意に沿わない生き方をしている私
懺悔はしたくないけれど
それでも幸せでいられますように」
そう聞こえるね
そんな見せかけの懺悔を
「偽善」ていうのさ
ホント主に対する侮辱だよなぁ?