mao&angieの日記
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邦題は「おばあちゃんの家」。 韓国映画です。
見ててもムカツクくらい、悪戯な子ども(寂しいんだろうな〜)。 仕事が見つからず、イライラしている母親。 二人が電車とバスを乗り継いで向かう先は、母親の実家だ。 仕事が見つかるまで、子どもを預けるために、何年ぶりに帰ってきた。
舗装されていない山道で、バスを下りる。 こんなところイヤだと、拗ねる子ども。 曲がりくねった細い道を、のぼったところにある 「おばあちゃんの家」には、何も無い。
持ってきたおもちゃ(ロボットや携帯ゲーム機)で、勝手気侭に遊ぶ。 けれど、電池が切れて、買おうとしてふもとの村まで行っても、 電池を売ってない。
耳が不自由で、話すことが出来ない、おばあちゃん。 壁に落書きをしたり、靴や髪どめを隠したり、いたずらをする。 それでも、全然怒らない。苛立ちもしない。
フライドチキンが食べたいというワガママにも ふもとの村まで野菜を売りに行って、鶏を買ってきて料理してあげる。 フライドチキンでなくて、鶏の丸蒸し(?)しか出来なかったけれど。 これは、イヤだとワガママ言っても、怒らない。何も言わない。 (子どもは、夜中、お腹空いて、全部食べてた)
そんな風に、少しずつ、少しずつ 自分を受けとめてくれるおばあちゃんの温かさに、子どもは気づき 村の暮らしにとけこみはじめる。
そして、季節がかわった頃、母親から手紙がくる。 別れる前の日。 字も知らないおばあちゃんに、子どもは字を教える。 「アップダ(痛い)」と「ポゴ シッタ(逢いたい)」
おばあちゃんが、痛い時、逢いたい時、すぐに僕が来てあげるよ。 だから、憶えてって… でも、おばあちゃんは、覚えられなくて… それがはがゆくて、別れが哀しくて、子どもは泣いてしまう。 おばあちゃんも、静かに目元をぬぐっている。
……そんな映画でした。ほろり…
私も、仕事していた頃も、辞めてからも、 夏休み、おばあちゃんに子どもを預けて見てもらった。
2歳の頃から、小6まで、約10年間。 長いときは1ヶ月くらいの間、おばあちゃんと暮らした。
何も無い生活とは、言えないけれど 自然はいっぱいだし、あったかな気持ちでいつも迎えてくれた。 子どもにも、おばあちゃんにも、大切な時間だったと思う。
(杏路)
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