日記
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2007年01月31日(水) ゆとり教育


世の中ではゆとり教育反対が一般論。が,なんでゆとり教育がだめなのか?とか,そもそもゆとり教育ってなに?とかが無視されていて,とにかく今の子が勉強できないのはすべてゆとり教育のせいだ!ってことにされてしまっているのでなんかあやしいなと感じる。

個人的に思うのは,教えている側だって仕事上自分自身も勉強だか研究だかなにやってるのだかよく知らないがやっているのだろうし,ということは,自分のレベルは常日ごろ向上している,それに対して,毎年入ってくる生徒や学生の質が同じだとすると,必然的に去年の生徒を去年の自分でみるのと今年の生徒を今の自分が見るのとでは自分とのレベル差が違うという話になると思うのだ。

つまり,今年の1年生は今の2年生くらいの実力はあるね,次の年には今年の1年生は今の3年生くらいの実力がある(去年の2年生ががんばって3年生になったのと同レベル)ね,ということにならないといけないんだが,そんなの無理だろっていうのは明らかである。

ゆとり教育自体もちょっちインターネッツで調べてみると,円周率を3.14ではなく3で教えなさいなんてどこにも書いてなく「好きなように教えなさい」ということらしい。計算を簡単にするために3と教えてもよいが,いつのまにか反対派によって,ゆとり教育の象徴として捏造されたとされている。ただ中学高校大学になればプログラミングで図形計算でもやらない限り円周率はずっとπで通しているのだからどうでもいい議論だ。

円周率は円の円周(2πr) / 円の直径(2r) = π( = 3.1415)という性質を円なら必ずもっている。円の面積は半径rの正方形の面積を3.1415倍したものに等しい(と僕は塾でそう習い,学校ではとりあえず公式πr^2だけつめこんでもらってあとはひたすら計算問題でなれろだった。)ということだけがわかっていればいい気もする。

つまりゆとり教育とは,生徒にゆとりをもたせるだけではなく,教えるほうにもゆとりをもたせてあげようということで土曜日を廃止し,指定授業時間数も削減し,授業を先生それぞれの自主性に任せたということらしい。ただ先生生徒の自主性に任せてみたら,まったくうまくいかなかったのでやっぱり国が教育の舵取りしなきゃねということになって見直すということになったらしい。いわゆる現場の敗北というやつだ。

そこでまた国が率先して先生がたにこれを教えろあれを教えろ,こういう風に教えろという風にこれからもとどおりにするらしい。

ただ,以前のように戻すといっても,現在は格差社会で生徒を進学塾に通わせたりどんどん教育に投資する家庭もあれば,今月の給食費や体育着代も払えない家庭まで幅広い家庭が存在しており,昔のように「全部の生徒についてこうしなさい」とはできなくなっているのが問題だと思う。格差社会といえばアメリカ,そういう国ではどういう風にしてきりぬけているかを参考事例としながらすすめていくことが必要なんじゃないかなって思う。

ただ,少子化の影響で,僕も将来に安定が望めない世の中で女性と付き合って子孫を残そうなんて子供がかわいそすぎて当分はやらないので,少ない生徒を多くの大人でちゃんと面倒をみていけばいいんじゃないかなとも思う。

気になるのは,ヨーロッパの学校では学校教育はあまりやっていなくて午前中に終わるのがほとんどだとか。その反面地域のおけいこごとでクラシックやスポーツという文化を残していっているという。しかし日本では子供をそういう風にするとその母親は教育ママだとたたかれ,放課後はおけいこなんてせんでいいから友達と遊べなんていい,そしてそのぶん学校で文化もしつけもなにもかも教えろなんて無茶をいっている。

そういうことをいっている人にこそゆとり教育でも受けて自主性をみにつけてきてくださいといいたい。本当は,昔の全共闘世代や団塊の世代にこそ,群れに自分の意思を決めてもらうのではなく自分で自分のことは決める教育であるゆとり教育が必要だった,ということだと思う。

ではでは。

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