Mother (介護日記)
Index|Yesterday|Tomorrow


2002年10月01日(火) 深夜の点滴。

昨夜からのセキは2時間近く続き、その後も断続的に激しいセキが出たことから
レフティーが「病院に連れて行った方がいいんじゃないのか?」と言い出した。



私は、その点、消極的だった。



2週に1度の検診で、
セキの発作や、肋骨の下の痛みや、体重の減少など、あれこれ報告したところで
「ステロイドを減らしている影響でしょう」と言われ、
母の間質性肺炎(BOOP)は治る見込みがなく(現状では肺移植しか道がない)
現状の投薬のほかには対処のしようがない。
経過観察するのみなのである。


しかし“少しでも苦痛を和らげる方法はないのか”と言うレフティーの言葉で、
私は病院に連絡をしてみた。

電話越しに母のセキが聞こえるようにして看護婦に状況説明をした。
主治医は今日の当直ではなく不在だとのことであったが、
念のため、別の内科担当医に診てもらうことにした。

激しいセキだからとは言っても、救急車を呼ぶほどではない。
レフティーが連れて行ってくれるとのことで、したくを始めた。



こんな日に限って、絹江も微熱があったとかで早くに寝てしまった。
絹江にはメモと病院までのタクシー代を置いて、そのまま寝かせておくことにした。



車に乗ると、何故か母のセキは静かになるのだった。
レフティーと私は、先ほどの緊張感から、なんとなく拍子抜けしてしまった。



病院では、車椅子のまま、緊急外来処置室に入った。

3月、腰椎の圧迫骨折の際、緊急外来を利用したのだが、
その時、他の患者への対応を見ていて“感じ悪い”と思っていた医師が今日の当直だった。
私がつけたあだ名は「酔っ払い」 ← 私につけられたくはないだろうが(爆)
いつも赤ら顔で目が据わっている。言葉が少なく動作もゆっくり。
威厳があるというのかコワイというのか、なんとも取っ付きにくいタイプである。



目つきも悪いのだが、実際に視力も良くないらしく、カルテを斜めに近づけて読んでいた。
思った通りN医師は言葉が少ない。
「それじゃ、ステロイドの点滴をしますから」

あの口うるさい看護婦が、この医師に気を使っている様子。
医師の背中越しにおそるおそるカルテをのぞき込んで、
出るであろう指示を先読みし、点滴の準備に取り掛かった。



通常、点滴をする場合の所要時間は薬剤にもよるが20分ぐらいだろうか。
(私は腕の血管が細くて40分かかってしまうのだが)
レフティーが「どのくらいかかりますか?」と聞いた。

「そうですね、1時間半から2時間ぐらいかな?」 �堯福陰Α院叩叩砲─�

今、午前1時前。 となると、帰りは3時かぁ(^_^;)


「あちらで仮眠を取っていただいて結構ですよ」と言われ、
レフティーがソファで休んで待つことにしたものの、
ロビーのエアコンは暖房なのか冷房なのか、肌寒いくらいだった。
こんなところで深夜に2時間も寝転がっていたら、風邪を引いてしまう。
タオルケットなど、借りることはできないのだろうか?


看護婦に聞いてみたが「付き添いの方の布団はないんですよ」と言われた。
今日はまだいい。 しかし、真冬はどうするのだろうと思った。
緊急で駆け込む患者の家族は、そんなことまで考えていないのだから・・・
急患の家族が眠るって言うのも呑気なのかも知れないが、
例え寝ないで付き添っているとしても、じっと待っているのも足元から冷えてくるものだ。
今後のために、
緊急時の持ち物の中に、タオルケットやダウンコート・ストール等を加えておこう。



ここに来る前、母は寝る時間だったので、補聴器をはずしていた。
病院には私が持参していたが、わざとつけさせなかった。
普段の検診で母を前にしては聞きにくいことも、この際聞いておこうと思った。
セカンドオピニオンとも言えるだろうか、医師が違うということもある。
単純にカルテからどのように判断するだろう。

「ガンはない。」

これは、私のひとつの疑問であった。

「間質性肺炎との診断が出ているが
 急性の場合、1週間ほどで亡くなってしまう方もいるし、
 長く生き延びる方もいるが、平均的には5年後に生きている人が半分と言われている。」

これらは、私がネットで得た情報の範囲である。
このような状況であとどのくらい生きられるのだろうか・・・
しかし、それについては結局のところ具体的なことは何もわからない。
いつ急激に悪化して・・・ということもありうる、ということだけだ。

“縁起でもない”と考える人は、平和な人だ。
仕事では、時間がないと思えば必死に取り組むものだ。
弓は矢が多ければそれだけ命中率が下がる。失敗しても次があると思うからだ。
今日、ファッション雑誌の『Domani』で林真理子の文章を読んだ。
“したことの後悔は、日に日に小さくすることができる
 していないことの後悔は、日に日に大きくなる”

私は、今良いと考えたことを実行していくだけだ。



私はデジカメとビデオカメラを病院に持ち込んでいた。

到着時、母のセキは落ち着いていたが、
夜、まだ早い時間にひどかった時の様子をビデオに撮っていたので、
医師や看護婦に診てもらった。

また、点滴の薬液や母の様子もビデオとカメラに収めていた。

看護婦らは怪訝そうな表情で「どうして?」とも聞かれたが、
「先があまり長くないようなので」と答えておいた。

そう言えば、撮影することでわずかながら冷静になれるような気がする。
撮影に気を取られるため、母の病状に対して第三者的に見ることができるようだ。



「お孫さんですか?」と聞かれた(笑) いつものことだけど。
母とは年齢差があるが実の親子である。『似ている』と良く言われる。



まもなく、別の急患が来るとの連絡が入った。
『19歳、喘息の発作』

5分もしないうちに、泣き叫ぶ若い女性の声が響き渡った。

「キャーッ! アアーッ! 助けてー! ヒィー!」
「はいはい、ゆっくり呼吸して! そんなところに座り込まないで!」

ミニスカートにパンプス、ロングの茶髪のその人は泣き叫び続けていた。
「吸って〜 吐いて〜 はい、もっとゆっくり、あぁ、なんでそんなに急ぐの!」

私はカーテンを閉めて仕切った。

セキが落ち着いた母は自分のことはすっかり忘れているように
「喘息? あらぁ、かわいそうにね。 苦しいのよね、あれ。」と彼女を心配していた。



私は、デスクに置かれたままのカルテを手に取って見た。
手書きの部分は英語(今はドイツ語じゃないよね?)および達筆のため、判読不能だった。

私はカメラを撮り出して、検査データを撮影した。
それがイケナイことかどうかは知らないが。
血液検査のデータ、内視鏡画像。

血液検査のデータについての詳しいサイトは、既にチェック済みである。
7月1日の検査結果は控えてあるが、去年との比較がしたかった。

母の場合、CRP、GOT、GPT、γーGTP、LDHが標準値よりもかなり高い。
これと母の肋骨の下部分の痛みを合わせて考えると、肝臓も良くないのかも知れない。
肝臓については、医師から全く話しがないことなので、
勝手に勘繰ってもムダだとは思うが・・・




点滴の途中で、母がトイレに行きたいと言い出した。
ちょうど2本のうち、1本が終わるところだったので、そちらを取り外したが、
その動作がかなり乱暴だったため、すぐに「痛い」と言い出した。

私はトイレからすぐ戻って看護婦を呼ぼうとしたが、
先ほどの喘息の女性に総動員であったので、とりあえず用を足してから診てもらうことにした。

トイレで動いたためか、また激しいセキが始まった。

針を刺した手首部分がやはり腫れてきていた。
看護婦がそれを抜き、今度は手の甲に入れ直した。

すでに1時半を回っていた。
薬液はあと半分残っている。

喘息の女性はやがて落ち着いたようで、帰って行った。




レフティーは、奥行きの狭いソファではとても寝ていられず、何度か起きてきた。
こんな時は、やはり私も免許を取っていれば、と思う。
ハードな仕事の後、着替えただけでボウリングに行き、
10時過ぎて帰宅し、遅い夕飯を食べた後、落ち着くまもなく病院に来た。
そして、朝になれば仕事に行かなくてはならない。
睡眠時間はそれでも何とか5時間を確保。



私は帰宅後にしばらくパソコンと向かい合っていて、3時間程度。
みんなを送り出してから寝ようと思ったが、今日に限って母が元気で起きている(^_^;)

自分から居間にやって来て、私がお茶を淹れている間に自分でテレビをつけた。
『徹子の部屋』や台風情報を見た後、
「1時半から12chで洋画をやるんだよ♪」と言い出した。
はぁ? 新聞も見ていないのに。

あら? 確かにやるらしい。 1973年アメリカ「スコルピオ」

それは、母にとっては超Goodなタイミングで、大好きなアラン・ドロン主演の作品であった。

現在午後3時になろうというところ。
普段なら寝てばかりの母なのに、今日は寝不足のはずなのに疲れたとも言わず、
座ってじっと映画を観ている。
これも点滴のステロイドの影響なのか? (多幸症)

これが終わるまでは、私も寝られないな(^_^;)

雨も強くなってきた。 
「雨戸、入れたほうがいいよ」 とは、母の言葉。


Index|Yesterday|Tomorrow


ALLURE  ☆ MAIL

読んだら、押してね ↓ 

My追加