Mother (介護日記)
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| 2002年12月14日(土) |
母方の従兄弟の訪問 2 |
「10時半頃」と聞いていたが、車の場合は30分早いことも考えられる。
私は朝からキリキリしていた。
洗濯して、掃除して、雑多な物は取り敢えず隠して(^^ゞ
それなのに絹江は9時過ぎまで寝ているし・・・(-_-;)
やっと起きて来たかと思えば “机の上の整理”と称して、写真立てなど、細かいものの配置にこだわってみたり、 “母の部屋の片付け”と称して、やりかけのパズルをキレイにはめ込んだり(-_-;)
時間がないんだから、もっとこう、大雑把にできないものですかねぇ。 (いや、普段からキレイにしておけばいいんだけどさ)
10時過ぎ、電話が鳴った。奥さんからだった。 「今、○○の前にいるんですけど・・・」
�堯福陰Α院叩叩砲修譴辰董△發Α△Δ舛量椶料阿犬磴鵝�
「す、すぐに迎えに行きますので・・・(^_^;)」 約『15歩』で到着。
母には、従兄弟が来ることは何も言っておかなかった。
「こんにちは〜」
「あら? 誰? ター坊ちゃん? あら、やだ、ビックリしたぁ! (^▽^)」
母は突然の訪問にとても喜んだ。 ちなみに『ター坊ちゃん』と呼ばれた従兄弟は、55歳である(^_^;)
「ごめんなさいね『ター坊ちゃん』って昔っから言ってたもんだから」と 奥さんに謝っていた(笑)
奥さんに会ったのは、叔父の葬儀以来15年ぶり。 私は顔を覚えていなかった。 何歳だろう? 22歳と18歳の息子がいるのだからそれなりに・・・ いやそれにしても若くてキレイだ。
母について従兄弟には、 酸素吸入をしていることや、痴呆が進んでいることを話してあったので、 従兄弟は『寝たきり』を想像していて、 自分の顔もわからないのではないかと心配していたようだったが、 「元気そうじゃん」 と安心(拍子抜け?)したようだった。
私としては、認識できるうちに会ってもらえてうれしかった。
母は、相変わらず訪問者がいると別人のように元気である。 良く話すし、セキも出ない。(移動しないからかも知れないが) みんなで出前の寿司を食べた。
そのにぎやかな様子をビデオにもカメラにも撮った。
相続の件は、従兄弟たちと『権利放棄』で意見は一致。 いつかそのうちに、印鑑が必要な書類が送られてくるかも知れないとのこと。 しかし、当初の相続人たちは、そのほとんどが亡くなっており、 その権利がその子供たち世代に回ってきたと言うことで、みな関心は薄い。 司法書士の書類作成からすでに20年が経過している。それがなぜか今頃・・・ 多数の相続人のうち、誰か1人でも意見が合わなければ手続きは停滞して 実質、放置にもなりかねない事案である。
今回のことで母方の家系図が手に入り、母にはもう1人兄がいたことが判明した。 母は5人兄弟の末っ子で、上の4人がすべて男性ということになる。 その長兄は、母が生まれてすぐに亡くなっていた。
それにしても、日頃疎遠とは言え、親戚のありがたさよ。
母が昔から言っていたことがやっと理解できる。 「親が生きてるうちはいいけど私がいなくなったら困るのだから、親戚は大事にね」
夫が早くに亡くなったので、 自分にもし何かがあって娘をひとりで残すことになったら・・・と、 母は心配をしていたんだと思う。 親も兄弟も家も早くに失い『天涯孤独』を味わったからこそ、重みのある言葉なのだった。
帰り際、従兄弟が言った。
「何かあったら電話して」
うれしかった。
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