| 2004年05月10日(月) |
思いっきり長い上に毒?あり。色々吐いてます… |
風邪ひいてますコンニチハ。 全く、電話で母上に 「風邪気味だったけど、ビタミンとか摂ったら回復した」 とか言ってたのは誰でしょう。2日前だった気が…。
そんなこんなで天気も悪くて洗濯もできず、一日中部屋に居ると余計なことが浮かんでしかたない。 始めのうちは、張司馬や惇懿の話が浮かんでくるんです。頭で考えると同時に文になって。 そして消えてく…(苦笑) 記憶力ないんです。っていうかそんな小説とかの長い話記憶できません!
で、今日は朝ごはんのときにふとトラウマについて考えちゃったり。「ゆかり」から連想で(汗) どうも芋蔓式に考えが発展する傾向にあるらしく、一気に昔のことが。 トラウマ、もしかすると私にもあるかも…そんなところから「考えモード」突入。
確かに私にも「トラウマ」と呼べるものがある。思い出すだけであの当時の吐き気が蘇ってくるのだから、確かにトラウマなのだろう。 実際に今でも部分的な潔癖症のようなものになってしまっているし、日常生活で少しばかり困ることもある。 あの出来事のせいで、こうなったのだ。と、考えが止められるようならば苦労はしない。 いつものごとくウンザリするまで記憶は昔に遡っていくのだ。 「いや、確かにあの出来事はトラウマを完全に意識させたが、あれが始まりではない」と。 一体いつからなのだろう。 元々私は優等生な問題児だった。小さい頃は体調不良と自分でもわからない感情で休んだことがあったし、入院するほどの病気もした。 あの時はほんの少しだけ死にかけた。元気だったときの記憶と、夜目を覚ましたら枕元に母が居たこと以外の記憶はない。 母だけでなく家族を巻き込み困らせていたが、寝言で親を泣かせるような親不孝な子供はそういないだろう。 何をしていたんだ昔の私は。 昔の写真を見て、あまりに明るく微笑んでいたのでギクリとさせられた時があった。なぜこんな笑顔ができるのかと。 それは周りに全て押し付けていたからできた笑いなのだろうか? 私自身の中身はあまり変わっていない。昔から。裏も表もあったのだ。 そこでようやく「トラウマ」に戻る。 一体、いつからなのだろうか。 先生に、葉っぱで切った傷を舐められたときか? 「うえ、何すんだ。離しやがれ」とか思いつつ「ありがとう」とか言ってた時だろうか。 それとも好きでもない奴に「頬にキスしろ」と言われて「ハイハイ」と適当にやってたときだろうか? そして、その相手を大人にはわかる嘘で陥れ、皆の前で謝らせたときだろうか。 もっと昔なのだろうか。「トラウマ」だけでなく裏表までできたのは…。
最近はトラウマもなんとか少しマシに。裏も夜、酒の場で披露することもできるようになった。 ただ、一緒にのみに言った人はわかると思うが、かなりすごい事を言っている。 素面と言っても信じてはもらえぬだろうが…。時には吐き出したいときもあるのだ。 しかし昼は「トラウマ」部分が強く、夜のことは忘れ去りたい出来事。 きっとこの日記も後で読んだら「うそ嘘!こんなこと思ってないですよ〜」とか言いたくなるに違いない。 しかし、今こう思っているのは事実なので、数時間後の私には我慢していただこう。
いつもそうだ。つい、こんな風に考えが溢れて混乱してしまう。 常に何かを考えていた気がする。そしてこんな自分をなんとか理解したいとも思う。 以前、精神科の施設(?)のような所に行ってテストを受けたこともあった。結果は何もなし。 全く普通であると。 「知能は高いです」とか説明する係員。あくびをかみ殺していた私は半日かけたテストも「暇」としか思えなかった。 病院の先生とも話をした。もっと本格的なテストを期待していたのだが… 私はまた眠かった。木とか描かないのか。残念。 病院の先生まで欺いてしまった。適当に見えないように適当に答える。 「はい。わかりました」 「はい。ちょっとずつ頑張ってみます」とか言えばいいのだろう全く。 説明されんでも今の自分が足踏みしたり、止まって休んでいることぐらいわかる。 先生は、そんな私に気づいていなかったのだろうか。 それとも、気づいていてお決まりの説明でもしていたのだろうか?それだけがわからなかった。
こうして何かを考えること自体が癖のようになり、大学の心理や哲学を学ぶ学部に行こうかと思ったこともある。 しかし行かなかった。 心理も、答えの出ない哲学も、もうウンザリだったからだ。 学んでも、自分の心理を分析できるという確証が得られなかったし、自分の納得できる答えも出ない…そう思ったからだ。哲学は答えがなくて当然だし。 今まで色々考えたお陰か、少しなら相手の今考えていることがわかったり操作したりできるようになっている。これも心理学を学びたくない原因であるが…。 それでも、自分のことがわからない。 何故考える。何故こう思う。何故私は動かない、昔と同じ所で足踏みしている。 何故、考えることを止められないのか。…さっぱりだ。 占い師のようなものだろうか。 人の悩みも考えも、未来すらも占うことができても、自分だけは占うことはできないと聞く。 占い師が誰かに占いをしてもらうとして、果たしてその結果に満足できるであろうか? 「そんなことはない」「それは違うはずだ」と思わないのか? …きっとそれと同じなのだろう。
頭で考えたことがそのまま入力できたらいいのに…。 他にも色々考えた…むしろそちらがメインになるはずだったのに(汗) 長い文章は覚えられない。その間にも新たな文が生まれては消えていく。 ちょっと待ってくれと思う。 そんなに早く打てないからな…。 消えていった中にどれだけ重要なことがあったか…いつものことだが。 もう戻らないものを惜しく感じるのもいつものこと。 そしてこの文章を書いたのを後悔するのもまた、いつものことだろう。 これを読んだ友人・知人はひくかもしれない。来るもの拒み、去るもの追わず。 これがどういうわけか、最近逆になってきたのだから困ったものだ。 好きな人には好かれたい。これを理解する日が来るとは…。 中身はほとんど変わってないはずなのに。不思議だ…とか思うとまた止まらない。 やはり哲学か?哲学なのか?
きっと今日書けなかったこととかも、どうせまた雨の日にでも書き出すのだと思う。 そのときは、また長い日記になるでしょう。 けれど時間のある方だけ、少しだけ、お付き合い願いたく…
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