Missing Link

2007年01月20日(土) 泣かされる


 後輩の彼女を好きになった。

 後輩は気さくで明るくて顔が良くて、オレはその正反対だった。二人を見ていても、どちらかと言えば、彼女の方がぞっこんで、最初から望みなんてまるでなかった。

 なのに諦める事ができなかった。
(絶対言わない、期待しない、ただ見てるだけだからいいだろう…?)
 と、自分に言い訳して、先輩と後輩と後輩の恋人と、そんな役割を続けた。
 彼女と会って1年。後輩とは時々仕事を共にし、たまに三人で居酒屋へ行ったりした。二人は気持ちのいいカップルだったし、時々感じる鈍い痛みさえも慣れてしまった。

 だからバチが当たったんだと思った。



 休みの日、そろそろ眠ろうとした時に、携帯が点滅した。
 こんな時間に誰だよと思って出ると、後輩と同じチームの奴からだった。オレとも一緒に仕事をした事がある。 
 だが話は仕事の事でなく、後輩の事だった。
 彼は震える声で、『彼』の事故をオレに告げた。

 現場に着いたのは、もう日付が変わった後だった。
 走りながら辿り着いた病室の廊下には、知ってる顔と知らない顔に混じって『彼女』がいた。
 ベンチにうずくまる彼女に掛ける言葉がなく佇んでいると、病室から電話をしてきた奴がオレを呼んだ。

 ベッドの上には、何本かの管をつけられ、蒼白な顔をして横たわる後輩がいた。
 まさかまさかまさか、自分の息が止まるような気分がした。
 だけどその時、

「・・・・さん?」

 か細かったが、取りあえず相手の声の出る事に、彼が生きている事に、オレは心の底からほっとした。その場で座りこんでしまうかと思った。
 だけど彼の言った言葉は、再びオレの息を止めた。

「・・・ちゃんの事、頼みますね」

 その瞬間、オレは自分の気持ちが彼にばれている事を悟った。

「・・・ちゃん強気に見えるけど、もろいところもあるから、ずっと、ついていてあげてくださいね」

 途切れ途切れの言葉が、オレに届くたびにオレはここから逃げ出したい衝動と必死に戦った。
 そして言葉が本当に途切れた後、永遠に続くような沈黙に耐えられず、オレは口を開いた

「ばかなこと言うな」

 声は無様な程に震えていた。

「なんで彼女の事、オレになんか頼むんだよ。おまえが何とかしろよ、おまえの彼女じゃないか。おまえが幸せにするんだよ!」

 頭からでなく締め付けられる胸から、言葉が勝手に出ていた。

「頼むから、こっちが頼むからさ、行かないでくれよ。謝るから、何度だって謝るから、一緒にいろよ。彼女と一緒にいろよォ…」

 涙が出て来たら、止まらなくなった。

「ずっと一緒にいてくれよ。おまえとあの子、オレが守るから、今度は絶対オレが守るから、オレからおまえとあの子を奪わないで下さい。お願いします」

 本当にめちゃめちゃ言った。
 罪悪感より喪失感が勝っていた。
 彼女を好きな事に対する後ろめたさより、彼を、『彼と彼女』を失う事の方がずっと重い事にようやく気づいた。

「…すいません」

 掠れた声が聞こえた。
 おまえが謝る必要なんて何もないのに。そう言いたくても、もう言葉が声にならない。

「すいません、・・・さん。甘えちゃって、ごめんなさい」

 それが最後の言葉だった。




 その日の。





 あれから一週間後、ようやくオレは重い足を引きずり、再び後輩の病室に行った。

「…だから、本当にあの時はもうダメだと思ったんですよ」
「…そうかよ」

 あの後、この男は薬で『眠った』だけだった。
 その事実を、オレは、手でシーツを握りつぶし、顔は涙でずたぼろという状態で聞いた。
 『もう大丈夫ですよ』という言葉を医者から聞いた時、気の抜けるような安堵に包まれたオレは、次の瞬間全身から火が出る位に熱くなった。
 それからは、自分が何をここで絶叫したかを一瞬たりとも思い浮かべると、その辺の窓から急いで飛び降りたくなった。
 
「みんな、先輩の励ましでオレが助かったんだろうって感動してるのに、あれから来てくれなくて」
「…その話はするな」
 
 臨死体験で忘れててくれないかという微かな望みはついえたが、何故かアレを聞いていた人間の間で、話はとても美しいモノにすり替わっていた。
 自分の横恋慕を気づかれなかったのを、よしとすべきなんだろうが、その誤解もいたたまれないものには変わりない。
 彼女は…

「彼女も残念がってましたよ、絶対自分も聞きたかったって」

 彼女はパニック状態で、看護婦から鎮静剤を投与されて眠っていたそうだ。
 コレも…自分にとってはよしとすべきなんだろうと思う。
 少し複雑な気分だったが。

「どうかしましたか?」

 唯一人、オレの心を知る男は、白いシーツと布団の中で穏やかな笑みを浮かべていた。
 オレを咎める気はないのか、と聞くのを何度もためらっていると、顔と同じように穏やかな声が聞こえた。

「彼女はオレが幸せにします」

 当然の言葉なのに、オレは思わず胸を突かれた。
 これが答えなんだな、とも思った。
 勿論、それに否やはない。
 祝福の言葉を掛けて、この部屋から出て行こうとしたオレに、彼はもう一言つぶやいた。

「彼女はオレが責任を持って幸せにしますから、先輩はオレ達を幸せにして下さいね」

 約束しましたよね、と彼は笑った。

「ずっと一緒にいて下さいね」

 オレは呆然とその顔を見つめた。

 おまえはそれでいいのか、とか、
 オレの気持ちはどうなるんだ、とか
 それは人間関係としておかしくないか、とか
 色々言葉が浮かんだ。

 だけどどれを取っても…勝てない気がした。

「…バカヤロウ」

 うつむいて、ようやくそれだけ言った。

「いいですよ。おりこうさんになって不幸になるより、バカで幸せになります」

 その声は優しくて、本当にどうしようもなく優しくて目が熱くなる。

「だから一緒に、幸せになりましょう」

 降って来る声に、オレは黙ったままゆっくりと頷いた。










                 (2007/01/20『泣かされる』)












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