私より10歳年上のお姉さんは、逢うたびに私の心の底にあるものをほどいてくれる。
楽しい話から始まって辿り着くのはやっぱり心に今ある「何か」についてになっていくのだけれど。 それは時には惨めだったり、怒りだったり、責めだったりの話。 そんな私の話を一つずつ丁寧に聴き、頷き、そして確実に受けとめてくれる。
こんな私で良いのだろうかと思うことも、こんな考えで良いのだろうかと思うこともぜーんぶ暖かく包んで聴いてくれる。 そして、先に進む道を教えてくれる。
心がほどける思いができるのも全部、皆のお陰だと思う。 「皆」というのは、誰とか固有名詞ではなく「全てのもの」という意味だ。
皆に全てを教えて貰って生きている。
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自分を見つめるという事は「表面」では無く「表面の一個下」でも無く、ずーっと奥の奥にある誰にも言えない気持ちのことだと教えて貰った。 自分と向き合うとは、深い所にいる自分と向き合うことだと思った。
深い所にいる私の心は綺麗なものばかりでは無い。 本当は悲しいんだよと泣いてるのとか、本当は何にもできないんだよと思ってる自分だとか、誰かに寄りかかりたいと思ってたりとか。
そんな自分を真っ直ぐに見て、誰かに吐き出すことでもっと自分がわかっていくんだと思った。
そうしてくことで人に優しくなれるような気がする。 本当の自分を見つけて見つめることで優しくなれる気がするんだ。
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