シオの日記

2003年11月18日(火) 曖昧・あやふや

最終的に望む場所はいつも変わらず。
夢のまた夢は、それでもいつも夢見ている。

…別に、素敵なことじゃないか。
言うだけなら簡単。
でも、努力もしてないのだから、
夢のままであることを嘆くな。

以前お話した映画「猟奇的な彼女」で
↓ちょっとネタバレ。
努力するものに運命は偶然という掛け橋を与えるものだ
という、言葉があった。
無責任な!とか、そんななら苦労しないよ!とも思う。
けど、好きなセリフ。

何故だか、努力家に見られがちな私ですが、
きっと人に比べたらそんなに努力してないだろうし、
一見大人しく見えるから、従順に見えるから、
努力していると見られるのだろうか?
黒髪が影響してるのか?!(苦笑)


ずっと、夢を見ていて、
でも、ずっと現実も聞いていて、
現実から逃げられなくて、
逃げるつもりもなくて、
逃げないことで、強いと錯覚したくて

でも、壊れたら元も子もないから
出来る範囲で、出来る範囲で、と
自分を甘やかして
無理じゃない範囲、といって
どんどん範囲を狭めて

気づいたら、
何もできないようになってるのじゃないか?
自分で作った拘束でがんじがらめになっているのじゃないか?
常識とか、普通とかに振り回されて、
自分の基準を捻じ曲げられているのではないか?

責任追及をしたら誰のせいとか言えるけど、
そのことで、自分の責任を逃れても
誰かに責任を押し付けても、同じ。
堂々巡りを繰り返すばかり。
追及して残るものは、後悔と空虚。

だから、責任の根源追及は少し置いておいて、
自分には何が出来るか、
どうしたら、状況が改善されるか、
それには、自分がどう動けばいいのか。


聞けば聞くほど、
書けば書くほど、
自分しか見てないと、言われるかもしれない。
かなり独り善がりなのも自覚しているところだし、
ある意味、ものすごく自己中なんだと思う。
ある意味、じゃなくても、なのだけれど。

それだけ、自分を常に磨いていなければ、
付いて行かれない。
誰に?
何処に?
どうして?

結局は、自信がなくて。
「自身」が、なくて。
自分という、根底がすごく曖昧で。
アイデンティティは強制的に望まれていた。
持つことを強制されていた。

けれど、それはすごくあやふやな
即興のようなありふれたアイデンティティ。
周りから植え付けられた、偽りのモノ。
だから、今、その矛盾や納得いかないところに
立ち止まってしまうのだろう。

単に、要領の悪さ故なのかもしれないが。

だから、一つ、けして努力と思わないけれど
自分には課しているつもりだ。
『自分を見失わないこと』
自分であることに誇りを持つこと。
それが、曖昧なアイデンティティを
裏付けてくれるのではないかと、思ったりして。

私は、どうでもいいのに。
私は、誰だっていいのに。
誰にだってなるのに。

だから余計に、
私が誰だかわからなくなる。

誰も踏み込ませないから
誰も踏み込まないから


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