Kitty Thunder Ground
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俺は絶対避妊主義者だ!もうコンドームに次ぐコンドームで。 ところが最近、彼女が「安全日だから生でやろうよ」と狂おしい事を言う。 で、ここのところたまに生でヤる事がある。 ってかこないだもそうだったんだけど。
でも俺は元々の主義があるから、生でやった事ほとんどないわけよ。 今の彼女が初めてですね。限りなく生・童貞ソーヤング。 だから生マンコの感触に慣れてなくてね。 もう早漏に次ぐ早漏ですよ!早漏ソーロング。
それで、生でしてもビビりだから、 イク10秒前くらいにもう抜いて、自分でシコシコしてから出すのね。 それにしても「シコシコ」って言うの恥ずかしいね。
それでね、そういう状況を利用して、こないだ初めて顔射をしたんだよね。 AVなんかでお馴染みの。
でもさぁ…アレ全然、何も面白い事ないね! 「顔に精液をつける」という行為自体は、両者にとって全くエクスタシーを感じるものではない。 AVを見てて、顔射が興奮するのは、「精液をつけられた顔」という、 インパクトのあるビジュアルがもたらす興奮という事だろう。 あと、男の、『女に対する征服欲を満たすものの象徴』。これが一番あると思う。
しかし、実際にSEXすると、もう、挿れて、動かして、女がヨガってるという段階で、 かなーり男的には征服欲は満たされてるわけ。
そう考えると、話は脱線するが、 性差別問題において、性行為の形態を見ると、男性上位概念が一般的なのはしごく当然と言えるかもしれない。 つまり、男「入れる」、女「入れられる」という形態がそれを象徴しているのではないか。一般論として。
で、話を戻すと、 SEX中に征服欲も満たされ、射精により性欲も落ち着いてしまったら、 さらに射精後のあの例の、言い知れ様のない虚無感も手伝って、 もう顔射された面見てても別に、、、 『あぁゴメン…顔洗ってきなよ』としか言えないわけですよ!
だから顔射は…もう、いいや。やんない。
全然関係ないけど、椎名林檎の『カルキ ザーメン クリノハナ』は、 いいアルバムだけど、完璧に名前負けしてるなぁと思った。
Kitty Thunder Ground
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