☆言えない罠んにも☆
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2004年02月08日(日) 新しいニットを着て、ヒールを履いてお出かけしたけど、これは全然別の話。

数週間前、文3の時の友達に会った。クラスは別で、基礎演習だけ同じだった子で
たぶん、5年ぶりくらいに。そして今週末、その子と食事に出かけた。

教養学部行って、1年留学して、今修士1年。ぼくと同学年ってことになる。
当時の彼の学問的志向と紳士的態度は、他の無神経な男子学生とは一線を画していて
一緒にいてぼくが不快感を感じなかった稀な存在だった。

お食事が中盤に差し掛かり、近況報告やトレンドについての話も
ひと段落したころ、その子自信の身の置き所をめぐる逡巡が話題となった。
なぜ、そんな君が、そこで落ち込んでるの?
なんだか、彼の話を聞いていると、ぼくの思考と非常に近くて、そして
それを聞くのは心苦しかった。どうしようもなくて、それでつまんなくて
ぼくのとらえられてた問題がそういうたぐいのものなんだ、って客観的に
わかってすごっくよかった。

自信がもてないのだと話すのを聞きながら思った。
この子でも自信がもてないんだって。
完成度の高い論文がかけて3ヶ国語が話せても。
外交に精通していて、目標があって、
その身長と体格で、スーツが似合っていて、
他人には微笑みを、仲間には友愛を、与えられても、
それだけじゃ自信の裏づけにならないんだ。
そうか。
そうなんだ。わかった。
自分に自信がないってことに問題を感じたら、
自信を持つ努力をする以外ない。



お料理の説明なんてやめてよ。
サッカー部のキャプテンだったときみたいに組織論でも語ってよ。

ねぇ、ぼくたちは世界の流れをつくることはできないよ。
大きな流れに逆らう歯止めになるしかないんだ。
でも、流されていくだけじゃなく、歯止めになれるってことは忘れちゃだめだとおもう。
歯止めがあるってことが大事なんだよ。

スーザン・ギルマンは、『うまくいっている女のかなり冴えた考え方の中』で、
「リベラル・アーツ」の大学院とロースクールに行くのだけははよした方がいい
と行っている。
偏愛することに対して警戒心がでてしまうのだ。
ポリティカリー・コレクトかどうか、本質的かどうか、意義があることなのかどうか。
平等とか、公平とか、公正とか。

大事なことだと思うよ。とくに社会に対してそれは言わなきゃい問題だよ。
でもね、それは自分に当てはめちゃいけない。
個人的な存在である以上、偏りはでるし、あらゆるものに優位でいられるわけじゃない。
限界があるんだから。
完璧を目指すだけ窮屈になるよ。
公正を強く論じる人に限って、自分の子供を溺愛してたりするんだよ。

そういうものなんだって思うよ。


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