☆言えない罠んにも☆
モクジックス
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|未来にモドレ!
ぼくは、彼女が好きで仕方がなかったんだと思う。 どうにかして、彼女と係わっていたかった。
すぐ会えるような距離にはいない。 会う理由もない。
ネットワークの上にも、彼女の姿は見えない。
メールをする、というのが、会社での仕事上の伝達を含めて、 僕の最も多用するコミュニケーションの方法だ。
無意識に、メール作成の手順を踏む。
開いた白い画面。
「タイトルを入れよ。」
..........
Return
「文面を入れよ。」
..........
カーソルが、催促するように点滅する。
Space Space Space Space
顔を覆い隠すように額に手を遣った。 書くことなんてないよ。
窓の外は、もう、八月も半ばだというのに蝉の鳴き声がうるさい。
”あついー”
クーラの利いたオフィスから、ぼくは、そんなメールを彼女に送った。 それこそ、1年分のプロジェクトを引き受けるときと、同じくらいの勇気を出して。
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キャサリン。ぼくは、彼女を、そう呼ぶ。
とはいっても、直接声に出して、呼びかけるなんてこと、これまで、あったかどうかあやしい。 まあ彼女は、ほかの友だちにもキャサリンって呼ばれてるし、ぼくがそう呼んだって不自然ってことはない。 よく考えると変な名前だ。 キャサリン。
ああそう、本名じゃないんだ。 日本籍だし、”櫨木涼子”とかいうとっても日本ぽい、平凡でもないけれど、特別変わってもいない氏名を持ってる。 どうしてキャサリンなんて呼ばれているのか、まともに考えたって無駄だよ。 顔つきだって、日本人によくあるレンジの、癖のない、良くも悪くも文字通り”プレーン”な顔だ。(ぼくは好きだけどね!) 美人かって? 「美人に見える」 そう、的確に言うと、そうなる。 彼女は、美人に見える。 いつだって。 そう、そして彼女は、美人であるかのごとく振舞う。 いつだって、ね。
初めて彼女を見たのは、いつだったって? 何年前かはすぐには思い出せないけれど、いつだったかは明確に覚えている。 卒業間近の3月だった。友だちが大学の研究室につれてきたんだ。 そいつはクラブの後輩だって言ってた。 そう、1つ下の後輩だって聞いていたけど、あとで本人に聞いたら、年がちがうので不審に思った記憶がある。 普段何をしているのかよくは知らない。 なにか、いつも、大学の図書館で本を読んでいるようなことを聞いた気がする。 たまに、調査なのか、それとも趣味なのか、突飛な場所に行っていた。(富山の山奥とか、鹿児島の離島とかね) 断片的な情報を総合すると、大学院に籍があったんだろうね。 そう、ぼくは、キャサリンがふだん、なにをしていたのか、さっぱり知らなかったってわけ。 聞かなかったのって? 彼女になにか聞くときは、それなりの聞き方を考えておかないと、答えてもらえないんだ。 とくに、正しい答えがほしいときは、慎重になんないとね。
そうそう、あのときは、研究室のメンバーでいつもみたいに飲んでいたんだった。 男ばっかの研究室だよ。え?うん、ふつうふつう。 そのころ、女の子って、いなかったから。 どっか、ぼくらの知らないところで、おしゃべりしたり、小説読んだりして、先生とか、銀行員とかになっちゃうんでしょ? 接点あるわけないよね。
ぼくらは、修士論文も終わってしまって、あとは卒業式を待てばいいだけだった。 気楽な雰囲気が、ぼくの人見知りを解いてしまっていたのかもしれない。 友だちが、つれてきたstrangersは、不快なファクターではなかった。 その女の子たち数人は(そう、”女の子達”だった!)いっしょにソファに座ってキャラキャラわらっていたんだけど、 そのなかのひとり、そう、キャサリンは、ひとりだけちょろちょろ動き回って、 無骨な理学系研究室の、本棚やら、プロジェクト表やらをものめずらしげに見回していた。
しゃべらない人かと思ったら、そうでもなかった。 おだやかな口調。たまに、うっすらと、笑う。 5分ほどだけ、会話した。 ふつうの、とってもふつうの話題のはずだった。 ふつうの、とってもふつうの外見に似合わず、ぶっとんでいた。 地図統計と話してるようだった。
小さな宴会が終わって、彼女たちはスカートを翻して帰っていった。 きゃらきゃらいう笑い声が研究棟の螺旋階段を下りていった。 彼女がいなくなって、あわてて、ぼくは、研究室を飛び出した。 階段を2段飛ばしで駆け下りた。
間に合った。
メールアドレスと名前。 彼女はあっさり教えてくれた。
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「じゃあ、1週間で、準備してくれるかな」 入社した日、社長じきじきに、アメリカ支社への辞令が下った。 卒業するときに、大学時代に買ったものは、ほとんど捨ててしまったから、 とくに戸惑うような場面でもなかった。 家族に伝えたら、冷蔵庫だけ、妹が取りに来る、といった。 一緒に住んでいないお兄様の住まいが、 電車で2時間のところだろうが、飛行機で12時間かかろうが、それほどかわらないらしい。 どちらにしろ、いつきたってぼくは仕事しかしてないんだからね。
ガランとした部屋で、着替えと布団と、タオルと歯ブラシと、コップ1つ、それに ミネラルウォータの入った冷蔵庫代わりのクーラボックス。 キャビネトと、1段だけのブックシェルフ、それに洗濯用ピンチ。 スリッパはいらないや。 その日のうちにスーツケースを注文して、布団を捨てる準備をした。 パスポートは幸いにも期限内だった。
総務のきれいなおねえさんがビザも飛行機も、むこうの住居も手配してくれる。 日本で過ごす、残りの一週間、用意された研修用の課題以外、仕事はない。 まあ、研修も、けっこうハードではあるんだけど。
ぼくは、ケータイをとりだした。 どうせしばらくはアメリカだ。 強気になるのは、こういうときらしい。
Date:April,1 Title:None To:Catherine
”時間あったら、メシ、いかない?”
返事はすぐに来た。
Title: Re None From:Catharine
”はーい”
出発する前日の土曜日、そのお昼にお台場を指定した。 プライベトで立て続けにこんなにメールを送るのなんて、何年ぶりだ? キャサリンからは、こんな返事。
From:Catharine
”いいよーぅ”
「やたっ!」つい、口に出てしまった。照れ隠しのために、課題に没頭したら、 その日のうちに全部終わってしまった。
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ゆりかもめへの乗り換え口で、グレーのパーティドレスに真珠のネクレスの彼女を見たときは、 正直、ちょっと、びっくりした。 ゆるやかになびくカールした髪のからヘッドフォンがのぞいている。 ハイヒールの足をステップに投げ出して、彼女はラジオ講座のテキストを熱心に読んでいた。
休日のゆりかもめは、結構混んでいた。 ぼくらは、ゆっくりいって、2本くらい見送って、ゆっくり座れる車両を待って乗った。 窓側の席に並んで座った。 キャサリンはずっと、窓に張り付いていた。そして景色が 変わるたびに、 貨物船が見えた、だとか、今日はトラックが少ない、だとか、あの倉庫はどこの商社のか、などと、 次々と早口で報告や質問をしてくる。
だから、ぼくも質問をすることにした。
「そのネックレス、似合うね。いつもしてるの?」
彼女が答えた。
「ううん。今日、一時半から、友達の結婚式だから。」
ぼくは、頭の中のスケジュールボードの、本日PMの予定を消した。
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