雑記

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2001年08月15日(水) 亡国の民

終戦記念日。敗戦記念日。呼び方はいろいろあるだろうが、大昔敵と教えられた国の軍隊から、自分達の家や家族を守るために戦った方々をないがしろにすることは決して出来ない。そういった人たちを奉るな、と言うのは内政干渉どうこう以前の問題だとも思う。公式に行かなきゃいいのにな、とは思うけども。

何年か前(多分高校生の頃)に広島の江田島に出かけたことを思い出す。人間魚雷回天が展示してある場所で、搭乗員の装備などの展示品とあわせ、大戦末期の米軍による本土上陸に備え回天をはじめとする人間兵器が実戦に参加し、実際にそれらの兵器に生身の人間が搭乗していた事をより現実的に知ることが出来る所でもある。

そういった展示品を前に当時の僕は、あなた方が命をかけてまで守ろうとした日本は今こんな状態です、とひどく鬱な申し訳ない気分になったものだった。今でも”こんな状態”と表現した所の僕の認識は変わらないが、大きく動いていた時代の流れの中でこの人たちが本当に守りたかったものは(直接的には)やはり国ではなく家族だったんじゃないのかな、と考えるようになった。もっとも、家という考え方が今と60年前じゃ大きく違うだろうけど。
せめて自分こそはとは日々感じながらも、家や家族と言う単位がともすれば形骸化していくことは本当に悲しいことだと思う。

あとは・・・この国はやっぱりもうだめですよ。戦後何十年かで確実に侵略は受けている。その結果として、何かのバランスが少し崩れるだけであっという間にこの国はなくなってしまう状態になっているし、それに対する手段は結局口約束によるものでしかない。さらに言うと日本国民が日本国民たるところってのは住民票以外にすでにないわけだったりするし。まあいいや。

(不自由ながらも)信じる心というものが何よりも尊重された時代に生まれなかったことは僕の責任じゃない。それに人聞きで今と違う時代の知識や認識があっても判らないし。今の時代もわからないのに(笑)。


と言うようなことを今日は上野の居酒屋で彼女と話す。


次郎吉 |MAILHomePage