雑記

ここに掲載されているテキストはフィクションです
DiaryINDEXpastwill


2013年05月03日(金) 広島行ってきた。


っても、自分で広島行こうと思って行ってきたわけじゃなくて、実家皆様のお出かけに便乗してきただけで。行程について提案だの意見だのするわけでもなく、金はもちろんないので何か出せるわけでもなく、更に去年の夏以降は運転を任されることもないので本当に何もせず便乗してきただけで2泊ほど。40前のおっさんがいろいろ格好つかないのは判ってるんだろうけど、2泊も1人にすると家で何しでかすか判らないとか思われてるんだろうなあ。ウソでも面接の予定とか言っときゃよかった。宮島、錦帯橋、西条の酒屋いろいろ等。



ホテルは広島市内、県庁とかそごうとか原爆ドームとかの近くで、シングルでないし禁煙だしで朝晩はなるべくひとりで外をうろうろすることが多かった。広島市内この辺を歩くのは小学校の時以来で、資料館見て碑を端から回って、みたいな反戦反日なここらの標準的な修学旅行だったように思う。夜遅くか朝早くだったのであちこち営業時間外だったけど、広島城小さいなあとか、相生橋ってこれどうなってんだとか、ああこんな所にSL置いてあるとか、爆心地から何百メートルとか書いてあるけど昔の地図ってないのかしら、とか、ちゃんと確認しなくても困らない程度に持った疑問他を検索しながら歩けるってのはやっぱり素晴らしいことだなあ、と。
とは言え、30年前と違って検索する手段が少し便利なのはいいことなんだろうけど、情報の真偽とかそういうのがいいとか悪いとかわからないもんなんだろうなとも思いながら、あくまで自己満足の雑学埋めるくらいのもんなんですよ。昔の事を調べるのに、情報が古ければ古いほどいいわけでもないんだろうなというか。30年前に比べ、例えば原爆資料館の展示が「怖い」という客のクレームで変更になったり、爆心地とされた場所が細かく修正されてたり、新しいか古いかでどっちがいいとか悪いとかそういうの判らないなあとも思うのです。
そういうわけで、歩いて見てきて部屋戻って調べて、んでまた出直してとそういう感じで。昔何かで見た島病院(島外科内科)には小さな碑があったし、これも昔何かでみた、爆心地近くで被爆したけど助かった人が居た地下室ってのが平和公園のレストハウスのことだったのか、とか、被爆建築と言えば朝飯食うのに入ったアンデルセンの立派な建物は当時からのものを改築して長く使い続けてる事とか、最期の日の朝に偶然電停の651号を見つけたけどカメラが間に合わず見送ったり、まあその他いろいろ。
そういや自発的な旅行というか観光というか、そういうしたことないなあと思った。金もないから別にいいんだけど。


次郎吉 |MAILHomePage