 |
 |
■■■
■■
■ クリスマス
一応人様の誕生日を祝う日ではあるが、あまりそういう意識を持つことはない。
今までずっとキリスト教の学校に通っていたので、 毎年半ば強制的にイベントに関わることが多かった。 そこを通じて得た雑学を書き留めておこうと思って、 暫くクリスマスにまつわることを書いていく。 あくまでも個人的な雑学に過ぎないことを、あらかじめ断っておきたい。 なにかの興味の足しになれば幸いである。
================================== クリスマスだから教会へ行ってみる、という人もいるのではないだろうか。 しかし同じキリスト教といっても、カトリックとプロテスタントといった 差まで気にして教会を選ぶことまでは考えないかもしれない。
たまたま幼稚園-高校までをカトリック、大学がプロテスタントと両方経験したが、 歴史で習う以上に同じ十字架を掲げながら違いがある。 既に教会の呼び方からして異なる。 カトリックの教会は、聖堂・お御堂、と言い プロテスタントの教会は、礼拝堂・チャペル、などと言われる。 今だ何故呼び方が違うかはよく分からない。
中に入ると更に明確に判断できる。 カトリックはマリア像などの十字架以外の像などの装飾品が多いが プロテスタントはシンプルな十字架のみである。 呼び名よりもこの理由は簡単である。 かの有名なルターが偶像崇拝を否定して成り立ったのがプロテスタントだからだ。 ノートル・ダム(私たちの母=マリア)という聖堂があるほど有名な いわゆる聖母マリア崇拝や聖家族(マリアとその夫ヨセフとその子イエズス) 崇拝といったものを廃したわけである。
つまりカトリックにはそういった像があるわけだが、 更に一番前の祭壇の後ろあたりに小さな箱とそのわきに赤いランプがあれば それはまさしくカトリックである。 この小さな箱には聖体拝領というものに使う聖体(いわゆる種無しパン)が 収められていて、それを示すためランプである。 …実はスイッチ1つでつけたり消せたりするなんて話は知らない方がよいだろうが。
また蛇足ながら、聖体を貰うためには信者でかつ初聖体なる儀式をうけねばならないが 聖体がえびせんに似た代物なので、ありがたいといえばそうなのだが、 間違っても腹の足しにはならない。
さて、外観の違いについて書いたわけであるが、成り立ちが違えば式の執り行い具合も異なる。
まずは行う人について。 カトリックだと、神父と呼ばれる存在はプロテスタントだと牧師となる。 牧師は女性でも可能だし、結婚しても良し。 カトリックは神「父」というように、男性だけである。ご存知のように結婚は不可。 しかも教皇―枢機卿―司教―神父という完全なるヒエラルキーで イエズス会・ドンボスコ会・ドミニコ会etc..と会山のようにあって 更には国ごとに教区が指定され管理されている。 結果、会社のごとく国境を問わず転勤があったりもする。 給料がどこからどれほど出るかなどは…流石に知らないが。
式の執り行い具合は、カトリックだとミサ、プロテスタントだと礼拝。 カトリックには目的ごとに定められた形があり大抵1時間ほど掛かるが プロテスタントの場合、始めに歌い、聖書の個所をきき、お説教をきき、 歌って終了なのでお説教さえ長引かなければ割合短く済む。 ミサ・礼拝のお説教大まかな印象からすると プロテスタントが聖書などを理論的によみとり学ぼうとする意欲を感じるのに対し カトリックが儀式にのっとることで神聖さを経験しようとしているように感じる。 いずれも聖典が新約聖書(イエズスが生まれる頃、BCからの内容)だと言うのに 読み取りかたによってこんなにも差があるのか、といったところである。
新約とは、モーセが十戒を通して神と契約した旧約をベースに イエズスが十字架を介して新しく神との契約をした、ということである。 旧約聖書はユダヤ教の聖典であり(つまりイエズスは神の子ではないとするスタンス)、 しかもイスラム教(だからマホメットの前にガブリエルも出てくる)の元にもなっていたりする。 現在の世界状況を考えれば歴史の皮肉と言うべきだろうか。
2003年12月08日(月)
|
|
 |