鼻くそ駄文日記
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2001年08月07日(火) 犬の悲劇 (ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』新潮社、大江健三郎『芽むしり 仔撃ち』新潮文庫)

 動物の出てくる小説にはなぜか哀しい空気が漂っている。あの『我が輩は猫である』でさえ、全体的にはどこはかとなく哀しさがある。人間と接触する動物には、常に哀しみが漂っているのかもしれない。
 犬が出てくる小説として、ぼくが頭に浮かんだのはガルシア=マルケスの『愛その他の悪霊について』(新潮社)と大江健三郎の『芽むしり 仔撃ち』(新潮文庫)である。
 二作品とも犬が出てくる以外に共通点がある。伝染病だ。
『愛その他の悪霊について』では、主人公の女の子が狂犬病の犬に噛まれたところから話がスタートする。物語中、狂犬病は悪霊のメタファとして使われる。事実とは言え、犬に噛まれただけで悪霊憑きにされる少女は哀しすぎるし、その原因として扱われる犬も哀しい。
『芽むしり 仔撃ち』の犬はもっと哀しい。『芽むしり 仔撃ち』は伝染病が流行る村に取り残された少年たちの話である。ここに登場する犬は、伝染病の中でたくさんの動物が死んでいるのに生き残っている。せっかく「クマ」と名前をつけたのに、脱走兵から「レオ」と改名されるのも哀しい。レオは少女の指を噛んで、少女を伝染病にしてしまう。それから、少年たちに「病原菌の塊」として棒で撲殺され、それが原因で飼い主の少年は行方不明になる。犬のせいでふたりの人間が死に、犬も棒で殺されてしまうのだ。哀しすぎるではないか。
 二作品とも犬は悪くない。二作品とも犬は故意に少女を噛んだわけではなく、うっかり噛んでしまっただけだ。過失に過ぎない。
 なのに、伝染病の原因となれば犬はあっけなく殺されてしまう。
 しょせん、犬の運命なんて人間に委ねられているのだろう。それが浮き彫りにされるから、犬が出てくる小説は哀しい。


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