鼻くそ駄文日記
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2001年08月20日(月) 『カチカチ山』(太宰治 新潮文庫『お伽草子』に収録)

 太宰治の小説の中でぼくがいちばん好きなのはこの『カチカチ山』である。

「カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。これはもう疑い容れぬ厳然たる事実のように私は思われる。」

 引用のように、カチカチ山の兎を十六歳の処女、狸をまったくもてない愚鈍な醜男とした『カチカチ山』は、まったく新しい解釈で話が進む。狸は兎の気持ちにはほとんど気がつかない。かまえばかまうほど嫌われるのに、狸は兎につきまとってしまう。
 山に登れば集めた薪に火を点けられ背中に大やけどを負うし、その大やけどの傷には唐辛子をたっぷり塗られる。最後には泥船で沈められ溺死である。
 あまりの悲劇だ。
 そして、最後に太宰がこの悲劇の原因を考察する。

「ところでこれは、好色の戒めとでもいうものであろうか。十六歳の美しい処女には近寄るなという深切な忠告を匂わせた滑稽物語でもあろうか。或いはまた、気に入ったからとて、あまりしつこくお伺いしては、ついには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭うから節度を守れ、という礼儀作法の教科書でもあろうか。
 或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌いに依って世の中の人たちはその日常生活に於いて互いに罵り、または罰し、または賞し、または服しているものだという事を暗示している笑話であろうか。
 いやいや、そのように評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまわの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
 曰く、惚れたが悪いか。」

 はじめて『カチカチ山』を読んだのはいまから七年ほど前のことだった。そして、読んでこの深い人間洞察と真実の提議に圧倒された。多感で、ちょっとかわいい女の子だったら誰でも簡単に恋をしてしまう年頃でもあったからこそ、男からちやほやされてる女、面食いな女、には、醜男の人生を狂わせるほどのひどいこともしかねい恐ろしさがあることをぼくは学んだ。
 そして、それから二年後くらいである。映画『ファンメイル』から、ひとつの流行語が生まれた。
「ストーカー」
 ぼくはこの言葉と意味を理解したとき、すぐに『カチカチ山』を思い出した。
「惚れたが悪いか」
 醜男には女性に惚れる権利がないのである。惚れてしまえば、女性には嫌悪されるだけだ。人を不愉快にさせる行為はなるべく慎んだほうがいいに決まっている。
 この真実を露呈した太宰治の天才的な人間洞察力には恐れいった。


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