鼻くそ駄文日記
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2003年09月15日(月) |
阪神優勝(パリーグ党のぼやき) |
阪神タイガース優勝おめでとうございます。 でも、パリーグ党といたしましてはいやみもいいたくなるわけで。 今日はそんな不愉快な日記です。
阪神ファンの方々は概ね巨人が嫌いです。 また、関西在住の阪神ファンの多くは、巨人戦を「大阪対東京」の試合みたいな感じで受け止め、一喜一憂されてるようです。 それはそれで楽しいものでしょうし、否定する権利は誰にもありません。 ただ、パリーグ党のぼくはひとつだけ、知ってほしい歴史があります。
1950年、プロ野球は2リーグに分裂します。 この2リーグ制がどうやって分かれたかというと、東京の新聞「読売」派と大阪の新聞「毎日」派でした(ちなみに毎日新聞は、全国紙を目指すためにチームは東京に置いてましたが)。 そして、関西の球団はみんな、毎日新聞の太平洋(パシフィック)リーグに入る予定でした。 だけど、阪神は読売に迎合して、セントラルリーグに行きます。 つまり、阪神は巨人の味方であり、他の三球団と違い、東京とも巨人とも戦おうとしなかったのです。
1950年代、関西のメディアはパリーグを盛り上げます。 毎日放送は南海を、関西テレビは阪急を猛烈にプッシュしました。 南海ホークスは1959年、巨人に日本シリーズで4連勝し、御堂筋で大々的なパレードもします。 この当時、大阪の球団と言えば南海であり、パリーグこそが大阪が生み出したリーグでした。
1964年、毎日新聞は大毎オリオンズの経営から手を引きます。 テレビの普及とともに、巨人が、セリーグが、プロ野球の中心となるからです。 それとともに、大阪の球団のイメージも南海から阪神に引き継がれ、長島の天覧試合あたりから阪神こそが打倒巨人に燃える球団のイメージを持つことにもなりました。 阪神ファンの中には、巨人が負けるだけで喜ぶ人も増えてきました。
だけど、知って欲しいんです。 阪神は大阪を見切り、東京の読売についたから、いまもセリーグにいることを。 そのとき、大阪の毎日についた三球団のうち、二球団(南海・阪急)は残念なことに身売りをしてしまったことを。 そして、もうひとつの球団(近鉄)は、いま、大阪のチームとしてがんばっていることを。
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