ドラマ!ドラマ!ドラマ!
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2001年07月27日(金) リアルの中のドラマ(水の中?土俵の中?)

 「現実は小説より奇なり」とは、よく申しますが・・・と、いきなり講談師調。もっちゃんのように小粒な人生を歩んでいても、なんだかんだと生きていればドラマチックな事もおこったりするもんです。良きにつけ、悪しきにつけ・・・。そして、勝負に出ないといけないこともあったりするもんです。
 
以前、ドラマは全て用意されているものだ、と、書きました。日本のクール割(こういう、言い方するのかな?宅急便の割引制度じゃないよ)のドラマは、たいてい最後が決まっている。最終回に向
かって、登場人物に物語が用意され、盛り下がったり、盛り上がったりしながら、大団円を迎えたり、悲劇的、衝撃的だったりの結末を迎えるのだ。海外ドラマは、人気があればシーズンと呼ばれる、1クールが伸びるので、「嘘、ここで終わりかい?半年、待てってかい?」という中途半端な終わり方をし、また、主人公だった人物が、途中で降板したりして、物語があるような、ないような、ちょっと不思議な構成になっている。ある意味、リアルかもしれませんけども。

 その点、スポーツというものは、シナリオがない。予想シナリオはあっても、何が起こるかわからない。リアルそのものの中に、なんてドラマティックな、予想だにしなかった事が起きたり、とんでもない才能が出てきて、まさか!の記録を樹立したりするのである。

 でも、スポーツの中にも、用意されたドラマがあったりする。八百長。いけないことだけどね。最近はないはずだけどね。八百長といえば、相撲、思い出しますか?歌舞伎の有名な作品の中に、「双蝶々曲輪日記」と呼ばれるものがる。それは、もともと濡髪長五郎、という関取が、大恩ある人に、報いるために、仕方なく、八百長話に乗る。「角力場」と呼ばれるシーン。が、それで全てが
チャラになるほど、相手方はいい人じゃなかった。大恩ある人の大切な人を守るために、なんと、長五郎は、殺人を犯してしまう。彼は自首しようと思うが、打ち首になる前に、一目会いたい人がいた。それは、産みの母。産みの母は、今は奉行所勤めの人に嫁ぎ、その人は亡くなっているのだが、義理の息子がおりしもその亡き夫のお勤めの跡を、引き継ぐ事になるという重要な時期にある。この義理の息子には、廓上がりの、目端の利く良い嫁がいる。この家で、「引窓」という、明り取りの窓を使って、時間を工作する事によって、物語は意外な結末を迎える、というお話。(この場は、「引窓」と言って、「角力場」と同じく、単独で出し物の演目にされるほど人気のあるものです)
なんだか、突然、思い出したので、歌舞伎のお話になってしまいました。

 本来はこのようにして、スポーツの世界に、用意されている物語はない。どんなに記録を出してきても、一発勝負。ただ、今回の福岡の、世界水泳のように、イアン・ソープの7冠が、とりざたされ過ぎ、ライバルのピーター・ファンデンホーヘンバントが、比較され、日本の選手でも、それまでの苦労話などをおりこむことで、ドラマチックにテレビの世界が競技自体とは別に、世界を作って演出してしまっている事があるのは否めまない。おかげで、本当にその競技会で活躍しているリアルに
ドラマを生み出している選手を、カメラがお茶の間に伝えられなかったりしてしまう。多少あっても、
ナショナリズムやグローバリズム、そういうものより、選手個人、もしくは、チーム、支えあっている家族、恋人、そういうものの集大成が一瞬、秒単位以下の世界で競われている。良い傾向だと思う。今日の、松岡修造氏のコメントは良かったと思う。
 一瞬、その一試合で決まる。ドラマチック以外の何ものでもないと感じてしまう。女子リレーのくりあげ銅。ピーター・ファンデンホーヘンバントの100m銀(まさか、アービンがね・・・)。結果に残らない選手達の物語。もっちゃんは、涙もろいので、たいてい泣いてしまう。

 そして、虚構の世界を作る人々は、リアルの中のドラマに近づこうとしてか、昨今は、「ドラマの中のリアルとは?」と言うことをテーマに思考している作り手が多いらしい。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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