今日はカポーティの「カメレオンのための音楽」を読もうと思っていたけれど、気持ちがそっちに行かなかったので、藤沢周の「夢破ること」を読んだ。 これは本を持っているのではなく「文藝春号」に短編として載っていたので、前の号で特集されていたし、そこでも短編が載っていたのを読んだので、読んでみた。 「なんじゃこりゃ」 という話で、なんだか身も蓋もないという内容だったし、終わり方でもあったので、ちょっと後味の悪い読了感を味わった。 その後本を読みたい気分にならなかったので「カメレオンのための音楽」も読むのを止めた。 本を買ってその本がつまらなかった場合「ちくしょう。お金返せ」という気分になったりするし、本を投げたくなる事がある(投げませんが)。 でも、文芸誌の場合例え全ての作品が自分に合わなかったとしてもそういう気持ちにはならない。損した気分にもならない。逆に得した気分になる。という事に気付いた。 きっと文庫を買う事もないだろう作家さんたちの作品を読む事が出来るからなんだろうな。 別に本を読むのに損得は考えないんだけれど、つまらない作品を購入するとどうしても「お金を返せ」という気持ちになるものだからね。 芥川賞を受賞した「蹴りたい背中」も文藝で読みましたが、お金を返せとは思わなかったけれど、これを読むんだったら他人のweb日記を読んでる方がいいと思うないようだったので、芥川賞を受賞したと知った時は「レコード大賞みたいになってしまったのね」としか思わなかった。 読めば読む程味の出る、違ったものが見えてくる作品ではなく、読めば読む程味が無くなり感じるものが無くなってしまう作品でした。 多分普段小説など読まない人が読むと感じるものがあるのだろう。
本屋で「蛇にピアス」を少し立ち読みしてみた。とりあえずもう1つの芥川賞はどんな作品なのだろうという興味から。 気持ち悪かった。 というだけで特に… 何も… 多分これはcocco(綴り合ってるかな)が好きな人にはたまらない作品なのかもしれない。
静かに席を立って ハサミを握りしめて おさげを切り落とした
髪がなくて今度は 腕を切ってみた 切れるだけ切った 温かさを感じた 血にまみれた腕で 踊っていたんだ
という歌詞がcoccoの歌であるんだけれど、それを思い出した。 彼女の歌に共感した人はきっとあの小説はバイブルのようになるのではないかと感じた。
こういう痛い作品って私はどうしても見ていて貧血を起こすだけで何も感じないんだよね。何を表現しようとしているのか、何を訴えたいのか意図が解らないから余計に気持ち悪くなってしまうのだろうな。 たまにリストカットした事をweb日記に書いている人がいて、たまたまそれを見かけてしまう事があるのですが、それを書く人と同じ気持ちなのかな。 でも、この作品は申し訳ないけれど、私が購読している文芸誌に掲載されていなくて良かったと思った。きっと手元に置きたくないだろうから。いや、手元にあるというだけでまた脂汗をかき、貧血状態になるだろうから。
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