| 2004年02月11日(水) |
日記のタイトルとカポーティ。 |
1つの内容であればそれに関するタイトルをつければいいんだけれど、沢山の話を書いている時タイトルに困ったりする。日記だけではなく、メールでも同じなんだけどね。パソ同士だと結構ロングメールになるので、毎回タイトルに困っている。 web日記でもよく新着情報からタイトルを見て「読んでみよう」と思うタイトルをクリックし読むんだけれど、結構タイトルと全然違う話を書いている人が多いのは何でなんだろう。カウンターを回す為なのでしょうか。 好きな本や音楽のタイトルなどをタイトルにしている日記をクリックしてもそれに関する話を全く書いていない人もいたりして、しかも大抵そういう日記には手裏剣が回っていたりするのです。そういうのに当たると「ちくしょう、罠かよ!」と思ってしまう(笑) 何も考えずに日記のタイトルは普通に書いた内容に関係するタイトルをつけているし、どういう内容を書いているのかを知らせるものだと思っていたんだけれど、そうじゃないのかな。 たまたま私がよくクリックする日記がタイトルと全く関係のない日記を書いているだけなのかもしれないけれども、最近それが続いているので、悔しい(笑)
■カメレオンのための音楽■ 今日これを少し読んでいたのですが、初読の時はそう感じなかったけれど、何となくばななの「NP」っぽいなぁ… と思いながら読んでいた。 ばななの「NP」という小説があるんだけれど、その内容に似ているというのではなく、この物語の中に作家がいて、その作家が書いた「NP」というタイトルの短編集があり、それってきっとこの「カメレオンのための音楽」なんじゃないだろうかと漠然と感じてしまったのです。 ばななは絶対にこの本読んでいるだろう(アムリタという作品の中にこの本の事が書いてある)から、この本を読んでインスパイアされ書いた物語が「NP」なのかなと感じた。 ブラックユーモアも入っており、あまり得意ではないジャンルなんだけれど、何となく目を背ける事が出来ない本で、不思議な魔力にかかっているような気がする。 それは「アムリタ」を読んだからなのか、カポーティの魔術にかかっているからなのか解らないのだけれど、普段決して自分から読もうと思わないジャンルの物語も入っているから、たまにはそういうのもいいかもしれない。 小説じゃないけれど、この本の「序」が一番好きです。これがあるから短編集を読んでいるというだけでなく、カポーティのノートを盗み読みしているような、カポーティの頭の中を見ているような気がしてならないし、それがまたいいのでとても貴重な体験をしているという錯覚がある。 野坂さんの訳もいいんだろうな。この本は初読の時よりも再読からの方が色々味わいを感じるような気がする。
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