「しゃばけ」を読了したので、まだ五條モードだったから「スノウ・グッピー」を読んでいます。この話は他のどのシリーズともリンクしていないので、特に思い入れはないというか、淡々と読める。内容は他と同じように色々と考える所はありますが。 淡々と読んでいるのに、深いというか、相変わらず凄い所を突いてくるんですよね。だから引き込まれるし、男世界はこういうものなのだろうか… と知らない世界を垣間見る楽しみも勿論あるし、人に寄っては「萌え」な部分もある(笑) 五條さんのファンサイトに行ったりもするんだけれど、どのサイトも「萌え」なんですよね。嫌いじゃない。でも、萌えないし、萌えを求めて読んでいるのではないから、ファンの人たちが印象に残っているシーンについて色々語り合っているのを見て「ああ、そういえばそんなシーンがあったな」と思うだけで、絶対に私1人では気付かないというか、気に止めない部分について沢山語り合っているのを見るのは楽しい。 たまにそういう読み方が出来る人を羨ましく思う。たまにではなく、しょっちゅうかな(笑) 自分にはない感覚というのは本当に羨ましいものですよね。サラリと読みすぎているのだろうか。もっと熟読したいのに、せっかちな性格しているから初読の時は続きが気になって仕方がないし、再読の時も初読程ではないし、ラストを知っているというのに続きを読みたくて仕方がなくなってしまう(笑) もっと言葉を楽しみたいのになぁ。
■文学■ 五條モードでもあるけれど、文学モードにもなっています。まったりとした、読み応えのある純文学をガッツリと読みたい気分でもあります。そろそろドストエフスキーも読破したい。まだ2作品しか読んでいないので、次は「悪霊」を読みたい。トルストイの「復活」も読みたい(笑) 一体何を読みたいのか、自分でも頭の中が纏まっていないかもしれん。でも、純文学が読みたいんだ!! 薄っぺらい長編ではなく、ごっつー分厚い本当の長編がいいなぁ。 そういや、よく本の帯や裏表紙などに「長編」と書かれた薄っぺらい本があるのですが、単に短編集ではないだけで、全然長編じゃないのに、どうして長編と書くのか昔から不思議なんですよ。 それぞれの感覚の違いというだけでは済まされないような気がする(笑) 200頁もない長編と、1000頁ある長編を並べて誰もが納得はしないと思うんだけど、そんな事を気にする人はあまりいないからいいのかな。 でも、私は気になるんだ!(笑) ま、1000頁ある場合は「超大作」と書かれている場合が結構あるけどね。「大作」「長編」でいいのになぁ。じゃあ、200頁もない作品はどう呼べばいいのか解らないというのもあるのかもしれない。本来はどう表現するのでしょうか。
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