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≫2004年10月16日(土)≫自分が死んだら
大切な人を亡くしてしまった人の日記を読む度に考える。
自分が死んだ時。
そんな風に哀しんでくれる人は居るのだろうか。
だって自分は誰にも何にも与えられなかった。
泣いてくれる程のモノを与えられなかった。
それは結局どっちでも良い存在で終わっていると言う事で。
どっちでも良い人が存在しなくなったからといって泣き出しはしないだろう。
アア、ソウ
その程度の認識で終わってしまうのだろう。
家族に至っては遺体の処理をさせる羽目になり面倒をかける。
つくづく迷惑な話だと思う。
いっそ遺書でも残して樹海にでも行けば良いのだろう。
だけれどそれはそれで問題が多いんだ。
だから手近な方法で死ぬ事を選んだ。
でもせめて遺体はなるべく綺麗な侭死のうと思った。
それは別に美しい侭死にたいとかいうエゴではなく。
処理する時を考えてのせめてもの配慮のつもりだ。
だけれど人は遺体が綺麗だと泣くという。
だけれど人は遺体が醜いと泣くという。
結局泣くんじゃないか。
だったら少しでも処理が楽な方が良いだろう?
本当は飛び降りたかった。
背から落ちたかった。
遠ざかる青空を独り占めしたかった。
無限に広がる青空と雲の流れを見ながら死にたかった。
だけれど飛び降りの遺体は処理が酷く大変だという。
近辺に死ねそうな高さの忍び込める建物も無い。
諦めるしかなかった。
電車への飛び込みも考えた。
だけれど膨大な慰謝料を請求されると聞いた。
そんな迷惑はかけたくなかった。
存在する事自体が迷惑で。
自殺すらも迷惑だとしたら。
どうしたら良いんだろうか。
でも矢っ張り死のうと思う。
誰もが哀しんでくれないのは人として哀しい事だろう。
だけれども僕はそれを良い事だと思う。
一切哀しまず、其の侭忘れてくれれば一番良い。
実際どうなんだかは判らないけれど。
だけれど哀しまれる事が一番想像出来ない。
だって哀しまれる程愛されてないだろう?
誰が自分なんかの為に泣いてくれるの?
誰かの一番になんてなれなかった。
掛け替えの無い存在になんてなれなかった。
いつまで経っても誰にとっても。
其の他大勢の内の一人。
いつかそっと忘れ去られる運命なんだ。
死んでしまっても問題は無いだろう。
だけれど僕は君達を愛していた。
どれだけ憎まれ口を叩いても嫌いきれなかった。
それだけは知っていて欲しい。
皆大好きだったんだ。
だから忘れて欲しい。
頼まなくとも願わなくともそうであるだろうけれど。

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