Sun Set Days
DiaryINDEX|past|will
北海道では今夜も大雪だとネットのニュースでやっていた。 今日は関東でも冷え込みがかなり厳しかった。 子供の頃、身体のなかには一本の細くまっすぐな芯があって、それが寒さに負けると凍死してしまうのだっていう話をふざけて聞かされたことがある。 それはもちろん本当のことではないけれど、あんまりにも寒い夜には、そういう芯のようなもの(ぼんやりとオレンジ色に光る)が確かに自分の身体の中にあるような気がする。その存在を想像してみるのは、結構楽しい。 そして、大人の役割のひとつは、子供にそういういたずらめいた嘘のようなものを、どれだけたくさん伝えることができるかってことでもあると思う。 子供の母親には怒られそうだけれど、想像力が大切だっていうことなら、理解は示してもらえるかもしれない。
―――――――――
初めて関東で暮らすことになった社会人一年目の冬を、僕は神奈川県のある街でむかえることになった。 そこは小田急沿線で、国道が走っていて、どちらかと言うとのどかであまり雑然とはしていないところだった。
雪がほとんど降らない冬を知らないわけではなかったけれど、北国出身の僕にとっては、やっぱりそれは十分すぎるくらいに違和感のあることだった。 転勤前に住んでいた函館市では、秋の初めに引っ越してしまったから体験することはできなかったけれど、かなりの雪が降ることは間違いのないことだったわけだし。 雪の降らない冬は、羽ばたくことができなくなってしまった鳥のようでもあったし、いくら回っても汚れの落ちない洗濯機のようでもあった。 本来あるべきなにかが足りないように感じられた。 知り合いと思いがけない場所で出会って、しかも知らないふりを決め込まれたみたいに、どこかよそよそしい冬だった。
当時、僕はちょっと小高い坂の途中に建てられている3階建てのアパートの一番端の部屋に住んでいて、小さなベランダからは木々と国道と街明かりとが見えた。アパートは僕が入居する3ヶ月ほど前に建てられた新築の物件で、その部屋の最初の住人は僕だった。大きな収納がひとつついていて、そこにいろいろなものをしまうことができた。ワンルームだったのだけれど、当時は荷物が少なかったから、それでも全然なんとかなったのだった。 僕はその部屋のことがとても好きだったし、先輩や同僚と遊んだり、本を読んだり、窓を開けて音楽を聴いたり、部屋の角に置いた(いまではもう処分してしまった)平机に向かって、日記を書いたりしていた。 いろいろなことがあって、うかれたりへこんだりした。 社会人1年目でもあったので、覚えることもたくさんあった(これはまあ、いまでもそうなのだけれど)。
いまだに当時のことは結構鮮明に、しかも他愛もないことまで、思い出すことができる。 それはやっぱり、日記をつけていたせいかもしれない。 当時の日記帳には一応タイトルをつけていて、それは「BLINK」というものだった。 「まばたき」という意味。 これは、Charaの曲のタイトルからとってきたもので、まばたきのように当たり前の日常を切り取って書いていこうとか、ちょっと気負いのあるようなことを考えていたのだった。他にも、まばたきをするたびに姿を変える(かもしれない)世界と、そうやって過ごしていく日常のことを、ちゃんと記そうって思っていたような気がする(以前も書いたように日誌的なものではあったのだけれど)。 無理矢理な意味付けではあったけれど、当時も、そして今も、物事や名前に自分なりにある種の意味をつけることはたぶん好きなのだ。 それは普遍的なものなんかではないし、汎用性だってもちろんないわけだけれど、それでも個人的に意味があればそれでよかった。 『星の王子さま』の中で、バラやキツネがそうなったように、日記をつけることによって一日一日がただの一日とは違ったものであるということがわかればよかったのだ。 まあもちろん、それはちょっと大袈裟ではあるのだけれど(基本的にオーバーなのだ)。
当時の恋人とは長い時間電話をしていた(遠距離だったので、電話代がすごかった)。 恋人は、何度か長い距離を新幹線を使って遊びに来てくれた。 ものすごく華奢で細い女の子で、食べてもまったく太らないのだと言った。 「そういう体質なの」って、まるで秘密を語るみたいにクールに呟いた。 とにかく、醒めていると言われてしまうくらいクールな女の子で(実際、よくそう言われると話していた)、そういうところにもとても惹かれていた。 たまにしか会えなかったから、駅まで向かいに行って彼女が改札口から出てくるのを待つ間(いつもわざと早く駅に着いていた)、やたらと嬉しかったのを覚えている。それが女であれ男であれ待ち合わせは好きだったのだ。 僕は子供っぽかったから、あんまり似合ってはいなかったような気がするけれど。
いろいろあって、結局その子には別れを切り出して、いまではどうしているのかもわからなくなってしまっている(あれはひどくおかしな時期だった。いまでもその当時のことはかなり克明に思い返すことができるのだけれど、まったくもってどうしようもない)。 同じ年だったから、いま頃結婚をして子供でもいるかもしれない。 クールに子育てをしているのかもしれない。 どうなのだろう?
その街に住んでいるときに、一度大雪が降ったことがある。 確か成人式の日だった。 みぞれ混じりの激しい雪が、世界最後の日のように不穏な暗さの夜空を白く染上げていた。 国道は市場に連れて行かれるのを嫌がる牛たちのようなたくさんの車たちで遅々として進まず、道端に諦めたように放置されている車も何台かあった。 その日ちょうど駅に行く用事があったのだけれど、小田急も雪のためストップしていて、構内にはものすごいたくさんの人たちがいた。 タクシー乗り場には長い列ができていたけれど、タクシーだって、どこまで使えるのかはよくわからなかった。
もちろんそれは激しい雪だったけれど、それでそこまで道路や鉄道が機能しなくなるなんてうまく信じられなかった。 北海道なら、こんな雪は当たり前のように何度も降るのに、そう思った。 なんてやわな鉄道だろうって。 そのときに、ああでもここは関東なんだなって、改めて思った。 また随分と遠いところまで来てしまったと、その後形や場所を変えて何度も思うことになることを、そのときにもやっぱり思った。 長い冬が終わり、遅い春が訪れる頃には、僕は千葉に転勤になってその街を離れることになった。 正味、半年程度しか暮らしてはいなかった街。 けれども、その密度が濃かったし、何かと忘れることができない時期だった(様々なエピソードがありすぎる半年間だった)。
これからも、その街でのことはたまにやっぱり思い出してしまうことにはなると思うのだけれど、その当時の出来事や考えたことはいつまでもちゃんと忘れたくないとは思う。
―――――――――
お知らせ
今冬の初雪はいつになることでしょう?
|