Sun Set Days
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昨年末から、自分の中でPizzicate熱が再発中。 最近は、部屋の外(つまりウォークマン)ではJanetを、部屋の中ではPizzicateを聴いていることが多い。 とりわけ、よく聴いているのが『Bosa Nova 2001』という、かなり昔のアルバム。 何枚か持っているPizzicateのアルバムの中でも、一番よく聴いたアルバムだったのだけれど、やっぱりあらためて聴き返してみるといいのだ。 キャッチーな曲もせつない曲も、それらのバランスがとてもよくて。
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写真の中でもとりわけ好きなのは、風景写真だと思う。 それも様々な種類の風景。 街ばかりでも郊外ばかりでも何かが足りない気がするし、自然の風景ばかりでもやっぱり何かが欠けているような気がする。 そのそれぞれがある種のバランスで危うい均衡を保っているようなものが好きなのかもしれない。 たぶんいろいろな風景をみたいのだ。 それはもしかしたらただのわがまま、あるいは贅沢なお願いというやつなのかもしれないけれど。 (もちろん、以前書いたように人物もある程度は欲しいなとも思うし)
最近、ずっと購入しようかしまいか迷っていた写真集『message』(平凡社)をついに購入してしまった。 もう新進とも呼ぶことが出来なくなってきたかもしれないくらいにたくさんの写真集を出している佐内正史の、風景ばかりを集めた写真集だ。
この写真集の中に収められている風景は、ごくごく当たり前のように身の回りに広がっているようなものが多い。 団地の並ぶ細い路地や、線路沿いの駐車場、午後の陽だまりの中にある公園、あるいはマンションかビルといった高い場所から撮ったと思われるような街の風景。そういう写真は、等身大の世界をそのまま切り取って映し出しているように見える。じっと眺めていると、吹き抜けていく風の音や(写真によっては)雑多なざわめきが聞こえてくるような気がする。 そして、それらの風景は別段とりたてて絵になるような美しいものではないかわりに、たまにあまりにリアルすぎて、現実の風景のたくましい美しさのようなものを際立たせている。地に足の着いたリアリティのようなものを。 個人的には、写真集ってそこに収められている写真が自分の中のどこかをやわらかくあるいは激しく響くように打つかどうかということに尽きるので、そういう意味で言えば、この写真集のなかには何枚かそういう写真が確実にあって、だからこそ何度か迷った挙句購入してしまったのだ。僕はそんなにたくさんの写真集を持っているわけではないけれど(おいそれと買えないような値段のものも多いし)、この写真集は部屋においておきたいって、ふと気が向いたときにぱらぱらとめくりたいって、そう思ってしまったのだった。 そして今日は気がつくとかなりぼんやりと、かなり長い時間この写真集を眺めていた。 壁に背中を預けて、ベッドの中で座りながら(あるいはうつぶせになりながら)めくっていたのだけれど、横に紙を用意して、気が向いたときにはその写真についてのちょっとしたメモのようなものを書き付けてみたりもした。 本当に、散歩に出て歩いていたら出会ってしまいそうな景色の写真が多くて、実際にこの光景はいまでも都内のどこかにはちゃんとあるのだよなと思ったり。
そして、自分でも好きで写真を撮ることがあるわけだけれど、やっぱりそんなときには風景写真を撮ってしまう。 実際に自分が日々を過ごしている中で、たまにどうしようもないくらいに惹かれてしまう風景に出会ってしまうことってあって、そういうときにシャッターを押すのだ。 それなので、カメラを持っていないことを後悔してみたりするようなときももちろんたくさんある。 むしろそういうときのほうが多い。 胸を打たれるような風景の中に身を置いているのに、そこにはカメラがないというような場合。 たとえば、それは昨年人の車の助手席に乗って東名を渋谷方面に走っているときに広がっていた高速道路から見えた東京の夕暮れだったり、札幌に出張したときにキャリーバックを引きながら夜歩いた道の、どうしようもないくらいに冷え込んだ空気だったりする。 そして、そういうものは記憶に残しておけばいいという考えもあるにはあるのだけれど、やっぱりたくさんのことを忘れてしまうから、経験的に言って写真に残しておく方が繰り返しそのときに立ち戻ることができるものだし。
それから、そういう写真は基本的には自分のためのものなので、難しい技術やテクニックは必要ないといまは思っている(もちろん、技術はあるに越したことがないとも思うのだけれど、現実問題あれもこれもは覚えられないし。だからいまの心持としては、もしそういうものを磨くのであれば、文章に関することと仕事に関することとの2つにしようって思っているのだ。そしてたとえば文章については、このDaysが練習になっている。毎日ある程度の分量の文章を書くための口実というか、きっかけとなっているように思う)。 それなので、写真に関しては、テクニックのことは脇へ置いておいて、ただカメラを、自分の思うように向けて、世界を好きなように切り取るだけのことだ。 それはもちろん技術的にはつたない写真かもしれないけれど、自分のためなので全然問題ないし。
それでも、面白いよなと思うのは、たとえば同じ景気を見ても、10人いたら10通りの世界の切り取り方、周波数の合わせ方があるということ。 遠景として撮る人もいたら、ある物に焦点をあわせる人もいるはずで、そのそれぞれに個性のようなものが隠しようもなく現れてくる。 そういう意味では写真は正直なのだろうし。 そして、写真を1枚撮るのでもそんなに違うのだろうから、なるほどコミュニケーションは難しいよなとか、思ってみたりもする。
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吉本ばななの公式ホームページってあったんですね。 知らなかった……
http://www.yoshimotobanana.com/index.html
というところ。 面白かったのは、吉本ばななが入れ墨をしているというところで、それが右の太ももに「バナナ」、左肩に「オバケのQ太郎」なのだということ。 うーん。
そして、3月に最新書き下ろし小説「虹」が幻冬社より出版されるということ。 楽しみ。
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お知らせ
来月に上映される『オーシャンズ11』。配役が豪華ですねえ。 僕の部署の面々は、半分以上あれは観に行くと言っているのです。
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