Sun Set Days
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今日は20時過ぎに仕事を終え、それから後輩と一緒にレイトショーの『ラストサムライ』を観てきた。 この映画は周囲でなぜだか異様に「観た」率が高く、上司から後輩、アルバイトさんからはたまた別の部署の後輩まで、本当に多くの人がすでに見ていた。別の部署の後輩なんて、社用のFAXに「○○さんラスト・サムライ見ました?」と書き込んでくる始末。
でも、そのたくさんのすでに観た人たちの中に、面白くないという人がいなかったので(普通、という人は何人かいた)、結構期待していたのだ。女の人の中には、かなり泣いたと話している人もいたし。
結論としては、面白かった。ストライクゾーンには入らなかったのだけれど、それでも楽しかったし2時間40分ほどの長さを全然長く感じなかったし。
ストーリーの方は、『ラスト・サムライ』というタイトルと登場人物たちの設定を見ただけで多くの人が予想するような流れそのままなのだけれど、やっぱりそういうストーリーって男子の胸を打つものがある。滅び行くものだとか、失われつつものにどうしても抱いてしまう郷愁や感傷を、現実という透明な壁で押さえつけてしまうような物語はやっぱり見ていて痛いし、引き込まれてしまうのだ。
渡辺謙はかなりよい演技をしていたし、トム・クルーズ(好きな男優の一人)はやっぱり魅力的だし、ニュージーランドに作られた架空日本の風景にはちょっと人工的な印象を抱いてはしまったのだけれど、それでも全然許せるという感じだった。武士道だとか、名誉だとか、誇りだとか、己に厳しいことだとか、研鑽だとか、どこかではやっぱり失われつつあるそれらのものについて、考えさせられてしまった。
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映画の中で、トム・クルーズと小雪のキス・シーンがあるのだけれど、生まれた国が違っても、キスはやっぱり同じような意味であるのだということをどうしてか不思議に思った。世界中の様々な国や民族のことにはそれほど詳しくないので、実際のところはよくわからないのだけれど、たとえば国によって、あるいは民族によってキス以外のことが、キスのような意味を持っていたら面白いのにと思ったのだ(もちろん、これは国や民族ではなく、人間という部分で基本的に共通している部分なのだろうけど)。
たとえば、手の平を重ね合わせることが軽いキスと同じ意味を持つ行為で、指を重ねたらディープキスと同じという民族がいてもいいし、手紙を書くことがキスと同じ意味を持つ民族がいてもいい(その場合には、もちろん手紙の中身と長さが重要な意味を持っている)。 または、ある種のファンタジー小説みたいに、名前の他に本当の名前があって、その名前を呼ぶことがキスと同じ行為である民族があってもいいのかもしれない。隠匿されたほんとうの名前を愛する人に小さな声でゆっくりと囁かれることが、身体を内側から溶かすような意味を持つというような。
いずれにしても、別の行為が何か他の行為と同じ意味を持つことって、探してみればあるのかもしれない。手の平を重ね合わせることだって、ある意味いまでもそのようなものなのかもしれないし。
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お知らせ
トム・クルーズって、やっぱり存在感がいいよなあと思うのです。
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