amatelasuの日記

2006年03月01日(水) 泥まみれ。

 うるさいッ
 最低なのはおまえだろうが

 つごうのいいときは気味悪いほどもて囃し
 つごうが悪くなれば手の平返してたたきつぶす

 なにもしなければ手を汚すこともない
 安全な場所で正論語るのは楽でいいよなあ


安全な場所に居る人間は、得てしてそれに気付かない。
なぜなら、安全は安心を生み、安心は慢心を生む。
そして、慢心は盲目へとつながるからだ。

だから、そのような社会には必ず身代り羊が必要となる。
盲目の羊飼い達を導くために、身代り羊は必要とされる。
あるいは人身御供と言い換えても同じ。
盲目は聖者を供物として殺す。
彼らは御供を殺さなければ何も知る事は出来ない。

だから、遍く人の子等を愛する聖者はその身を捧げる。
聖者は人を博愛するからこそ、自ら十字架にかけられる。
そうして盲目の羊飼いたちは、自らの身を汚すことなく贖われる。


では、盲目の羊飼いと、彼らによって神へ捧げられる人身御供と、どちらが真実に近いのか?
あるいは真実へと目を開こうとしているのはどちらか?
どの時代にあっても、苦悩し真実への道を切り開いて行くのは、目を開き汚れることも厭わず、自ら泥の中に身を投げ出す者だけだと思いたい。



ちなみに冒頭のセリフは「彼氏彼女の事情」からの引用。
とりあえず、それだけは記しておきます。


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