【読書記録】渡辺真由子「ネットいじめの真実」

普段は新着図書を見ないので、最近は新書などのまじめな本から離れ気味なのですが、手にとってうーむと思うところがあったのでご紹介。
私の年代は、ネット普及の余波を10代のころからじわじわと受けてきたティーンエイジャーの先駆けでした。高校生のときの携帯所持率もそれこそ全国平均を超えていたと思われますし、携帯の時代なんだなと感じずにはいられない時代でした。先ほど先駆けと書いたのは、このことも関係していて、ポケベルが落ち着いて携帯に移行した時期がちょうど私たちの時代です。だから、ネットいじめというのは私たちのもうちょっと後の世代の子達が受けた新種のいじめで、あとがきで著者も言うように、私もこんな面倒な時代に青春時代を送らずにすんでほっとしているとともに、じゃあこれって具体的にどんなものなの、と興味があったのでした。
構成がとてもしっかりしていて、まずはネットとはどんなものかの説明から始まり、それにかかわる子供たちの今、そして実例や被害者の声を交えつつ、現在の不調やメディア・教育などの立場からも考え、そして最後にまとめ。この本で感心したのは、情報の新鮮度。なんといっても出版が2008年7月で、読んでいるのが翌月の8月。一ヶ月たたずに読んでいるため、中であげられた事件は「ああ、あの事件…!」と思い出すことができ、現代の捕らえ方がとてもリアリティのあるものとしてみることができる一冊でした。
携帯メールの返信が5分遅れたら仲間はずれ…、本当にそんなバカな!と思うような子供のルールがあって、私とあまり年齢も違わない同じような世代の子供なのに、なんと稚拙なのだろうと嘆かわしい…。そんなことをする加害者、つまりいじめる側の心の問題などにも触れられていて、そしてそれを律することができない大人の像も描かれていて、日本という国は大人の水準が本当に下がったのだなと感じました。
ネットいじめとは、結局のところ”いじめ”の一種であり、携帯電話があろうがなかろうが存在する、という一説にああなるほど、と思い(携帯電話を介するいじめは、私の捉え方ではとても特殊なものというくくり方だったので、根本的ないじめという形を想起させる内容にはっとしたり。)、後半でしっかりととりあげられている性的な被害については本当になんともいえないいやな気持ちにさせられました。確かに今の世間いついては、少し考え直す必要があると思います。もっと知的な笑いがあってもいいと思うし、むしろそれを引っ張りあげてあげられるだけの大衆も必要だと思う。
と、基本テーマはネット、特に携帯電話を用いたインターネットによるいじめなのですが、いろいろな面でさまざまなことを考えさせられました。ぜひ多くの人に現代を読み解く上で、考えてほしいと思います。NO.48■p223/ミネルヴァ書房/08/07
2008年09月22日(月)

ワタシイロ / 清崎
エンピツユニオン