みかんのつぶつぶ
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2001年11月12日(月)

午後。
呼吸はずっと浅く肩を大きく揺らしながらの状態。
急に喘ぎ出す。
それまで閉じていた目を見開き、顔を大きく歪ませて
口をパクパク激しく動かしながらのたうつ。
このような状態が何度か続き、
その都度ナースコールを押して痰を吸引してもらっていた。

こんなに苦しんでしまうのか。
どうにもしてあげられなくて。
呼吸をもっと楽にしてあげられる方法は術は
看護婦さん達にはないのだろうかと疑問に思った。

午後5時。
また痙攣を起こしはじめた。
痰を吸引してもらおうとナースコールを押す。
まだこないのかといぶかしげな気持ちになった時
その看護婦が入ってきた。
無言で彼に近寄り、おもむろに吸引をはじめた。
あまり痰は出てこない。
そのうち痙攣が治まったので、呼吸は楽になったのだろうと思った。
その時だった。

「モニターには変化はないんですけどね」

その看護婦は、担当の交代をする時間で支度がまだできていないのだろうか、
看護衣のヒモを結びながらこう吐き捨てた。

私は察知した。
モニターの変化はないのだから、むやみやたらとナースコールを押して呼んでくれるなと言いたいのだと。
もしもこの言葉で、私を安心させようとする想いがあったとしても
その態度ではこちらには伝わらない。

「じゃあ、どうしてこんな状態になるの?これは痙攣なのか、それとも呼吸が苦しくて喘いでいるのか、わからないから」

私は、怒りを抑えて看護婦へ訴えた。
無言で看護婦は病室から去っていった。


彼の人差し指には、酸素の供給量を示す器械がはめてあり、
その数値が98くらいであれば正常に酸素は体内に取り入れられているということで…

どうしてこんな状態になってまでも
彼はこんな扱いを受けなければならないのか!
悲しくなった。
そして後悔が山のように私を押し潰してきた。
こんなところに置いておいた私が悪いと。

そして、また激しい痙攣らしきものが始まった。
ナースコールを押すことがためらわれ。
酸素を示す数値は98から下がっていない。
しばらく声をかけながら様子を見ていた。
痙攣は、繰り返しおきてきた。
だんだん強くなってきた。
いっこうに治まる様子がないので、ナースコールを押した。

先ほどとは別の看護婦さんが入ってきた。
痙攣なのか呼吸が苦しいのかわからない、と伝えると
担当の看護婦に聞いてみるからと出ていってしまった。

それっきり、看護婦の姿は現われなかった。

待てど暮らせど現われない。
そのうちまた痙攣が・・・
私は一気になんともいえない怒りと不安の感情で
泣き叫びながら彼の名を呼んでいた。

廊下にまで響いた私の声を聞きつけて
担当の看護婦が先生を呼んで病室へ入ってきた。

その姿を見て、私の怒りが頂点に達した。

「どうして来てくれないの?こんなに苦しんでいるのに!
これは痙攣なのか呼吸が苦しくて喘いでいるのかわからないじゃないの!
だから呼んでいるのに!どうして!」

泣き叫ぶ私に驚いた医師が、彼のその様子を目に写しながら
「奥さん落ち着いてください、痙攣です、これは痙攣ですから」
と声をかけてきた。
その声で冷静になってまわりを見ると、
ナースステーションから看護婦全員が飛び出して
部屋に集まってきていたのだった。










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