敬語を交えずにNさんと話すのは骨が折れる。時間の経過と共により自然に近い状態で話すことはできるものの、あまりに身近な呼びかけをしてしまったとき、息を詰めてNさんの動静を窺うことがある。それでも会話から敬語を排するのは当時との差異を明確にするためで、近付いて遠く、離れて近い、この距離感にもどかしさを感じないでもないが、今はきっとそういう時期なのだと言い聞かせて逸脱しそうになる気持ちに蓋をする。 中国地方の小都市だったような気がする。遅くまでNさんと会っていたせいで、東京行きの最終の交通手段を逃してしまった。今夜中に来ることはないと知りながら、僕は東京行きのバスを待ち続ける。そんな夢を見た。 自分にコミットしてくる情報にのみ着目していれば心穏やかでいられようなものを、進んで辺りに気を配るから疲れる。消耗するのを(損なわれるのを)恐れる気持ちは、高じて拒絶と敵愾心に転じるので、東京で暮らす自分がほとほと嫌になるときがある。では、いっそのこと東京を離れてみれば良いものだが、そこに第二第三の東京が立ち現れるだけで、よほど辺鄙な所へでも越さない限り逃亡することは難しいように思える。旅先では心の掛けがねが緩むから、少しはかくありたい自分に近付けようものだが、終生旅を続けるというのも土台無理な話だ。 河原町で、Tやその友人達と午前五時までカラオケ。よくもまあうたう歌が尽きないものだと感心しながら、もう若くない僕は零時を過ぎた辺りからうつらうつら。大音声と充満した煙に耳と喉をやられ這う這うの体で閑古鳥の鳴く四条通を歩いた。Tとベッドに横たわると、ブラインドの隙間から朝が覗いた。 ----------------------------------------------------------- アートエリアB1で「中之島哲学コレージュ 哲学セミナー 第1回 臨床哲学」 SHIBUYA-AXでイースタンユース 「極東最前線/巡業 ~スットコドッコイ20年~」 東京国際フォーラムでシガー・ロス「JAPAN TOUR 2008」 森美術館で「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」 ----------------------------------------------------------- カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」 ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」 読了。
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