日々是迷々之記
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今日は重い腰を上げて母親の見舞いに行ってきた。3週間ほど前に引き上げた洗濯物を持ってゆく。会社で残業した後なので、7時を回っていた。
母より前に主治医の先生に会って様子を聞く。術後の経過は良好。ただ一つ問題なのは、元気がないこと、気力がまったくないことらしい。脳を調べてもどこが悪いということもなく、なのに話しかけても返事はおざなり、食事は口に入れられても、咀嚼せず飲み込むこともしない。なので今は鼻から管をいれて流動食だ。
ついでに週末にけいれんの発作があり、その後急に熱が上がり今は軽い肺炎らしい。先生にありがとうございましたと一礼をして、病室へ向かう。
鼻から胃に通じる管を通されており、なおかつ酸素補給の管も鼻の穴の舌に固定してある。動かすことのできる右手には鍋つかみのような布がかぶせられており、ベッドとヒモでつながれている。鼻の管類を外してしまわないようにということでそうなっているのだ。
しんどいの?と声をかけたらしんどくない、と言った気がした。入れ歯を外しているのではっきり分からないのだ。痛いところあるん?と聞いたらない、と言ったような気がした。以下同文。
私は洗濯物を、適当にしまい病室を後にした。可哀想とか、あわれなとか、そういう気持ちはしなかった。感情自体が別に湧かないのだ。頑張って!とも思わないが、死ね、とも思わない。ただ、あの人はあれで人として生きていると言えるのだろうかと考えた。沢山の管を付けられ、唯一動く右手は拘束され、時間や努力や治療で治ることはありえない病気。先生や看護士さんたちは毎日こういう人たちと接しているわけだが、どんな気持ちなんだろうとふと思った。
明日、15日は私の誕生日だ。33歳になる。母親は33歳になってすぐ私を産んだ計算になる。33年も前にバツイチながら未婚の母ついでに父親の愛人、それを6年続けたのだからある意味根性あるのだろう。
実家から持ってきたアルバムを見る。窓枠に腰掛けたランニング姿の父親が私を抱いている白黒の写真。73年だから私は1歳だ。写真の中の父親はとてもうれしそうだ。が、これも冷静に考えると、外で子供を作っていた訳で、たまにその女(母親)のところへやってきて、ランニング姿で我が娘を抱いている図なのだ。そう思うと複雑だ。
33歳。この歳をわたしはどういうふうに生きるだろうか?
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