日々是迷々之記
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2005年10月20日(木) 愛なんてない

昼頃、派遣会社から電話があった。某電機メーカーで輸出の貿易事務の仕事があるんだけど、と話を持ちかけられたのが3日くらい前。進めてもらっていたのだ。こちらから出した条件は一つ。毎月月初めにいつでも良いので半休が欲しい。何故なら寝たきりで入院している母親の用事で区役所で書類にはんこをもらい、病院に提出しなければならないからだ。

果たして、その仕事の案件はお流れになった。その平日に半休を取るというのが受け入れられないとのこと。私は静かに受話器を置いた。

昨年末に親が倒れてから、その場で区役所に行くので休ませてくれと前日に言い、どうにかその責務を果たしてきたわけだが、これから働きはじめる場合、こういうことは最初から告げておくべき事だと思う。それとも黙って勤め始めて、それから、「実は…。」という感じで切り出し、平日に半休をもらった方がいいのだろうか。

これが理由で採用が流れたのはこれだけではない。なんだかなぁと思う。今までは単に家にずっといるのが向いていないという理由で、子供もいないし、必然的理由もないまま働いてきた。が、今は違う。働かないと入院費用が払えないのだ。どうにか貯金や、実家を引き払ったときの敷金の返りで払っているが、底を着くのは目に見えている。(なんせ40万円くらいしかなかったし。)

だからまぁ働かなきゃしょうがないんだが、区役所にも行かなければいけないわけで、どっちも別に自分のためではない。区の生活保護課に相談をしてみた。まず、本人名義の貯金が4万円以下であること。土地を持っていてはいけないこと。家賃が4万2千円以下の賃貸住宅に住んでいることが、生活保護を受ける条件らしい。

現在、実家は引き払っており、住民票は置いたままである。生活保護課の人によると、病院に住民票を移して、土地を手放し、貯金が4万円以下になるまで使い切ってから、病院のある区の役所に相談しなさい、とのことだった。

ということで、田舎の土地は手放すことにした。以前テレビで見たのだが、これも高齢者の虐待とかになるらしいが、どうなんだろう。まぁ、客観的に見れば、勝手に家財を売り払って、貯金を勝手に下ろしたりしているわけだから、私のやっていることは責められるべきことなのかもしれない。

こんなときに、昨日のニュースを思い出す。中一の男の子が母親をぶん殴ったら当たり所が悪くて脳挫傷で死んでしまった、というやつだ。最初に手を出したのは母親で、「勉強しなさい。」と言って平手打ちを食らわしたらしい。

私も中学生、高校生の頃はよくぶん殴られていた。家に帰るのが遅い(私が食事を作っていたので8時とかに帰ると横殴り)、勉強して京大に入れ(父親が早稲田だったので、それに対する典型的な学歴コンプレックス)、などなど。大学受験に失敗したときが一番の修羅場で、ベランダからマンガや本を投げ捨てたりとほとんどキチガイ状態だった。

それでも私は手をあげなかった。あの人はかわいそうな人だと哀れんでいたからだ。目先の利益で自分の立ち回り方を考える人だった。ヤクザ系の会社に出資という名目で金を貸して踏み倒されたり、マルチ商法に手を出して、友達をなくしたり、そんな愚かな姿を見て、「ああ、この人は広く世界を見られない、かわいそうな人なんだなぁ。」と子供のころから思っていた。だからこそ、「生まなきゃ良かった。」とか、「死ね。」とか言われても、「ハイハイ。」って感じで流して来られた。

愛なんかないんである。大体そもそもそれって何なんだろう。

もう別に生きていてくれなくていいんだけどさぁ、というのが正直なところ。こんなとき、自分の中の殺意を隠してしまったことを後悔する。中学生のあのときに手をあげて、怒りを爆発させてしまえば良かったのかもしれない。子供だから終身刑にも、無期懲役にもならないし、名前も公表されない。あのころは失う物なんかなかったし。

でも今は違う。相方もいるし、妹もいるし、私の人生にいろんな人たちが関わっている。そういう人たちに迷惑をかけたくはない。

とりあえず、住民票を病院に移して、土地を手放して、貯金が底をつくまで入院費用を払い続けよう。最終的に生活保護に切り替えれば済むことだ。もう私の方からの経済的負担はとりあえずなしの方向で。

うーん、愛がないなぁ。


nao-zo |MAIL

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