秋晴れのいいお天気で、少し強めの風がかえって気持ちよかった1日。 洗濯物が良く乾いて嬉しい…って、思いっきり所帯臭いですな。
山之口洋「オルガニスト」読了。 読み始めて興が乗ったら、やめられなかった。 音楽についてやオルガンについての専門的な記述などは朧にも分からなかったが、圧倒的な文章の流れで、特に後半はページをめくる手が止まらなかった。 そんな本に出会えて、(それも衝動買いだったなんて)嬉しいの一言。 大学でヴァイオリン課の助教授をやっているテオドールには、学生時代を共に過ごした天才オルガニストの友人・ヨーゼフがいた。テオは彼を間近に見ることで、自分の平凡な才能を自覚し、その思いと折り合いをつけることを覚える。 けれど、テオ自身の起こした事故が、ヨーゼフからオルガニストとしての未来を奪ってしまう。それが物語の発端だ。 一見音楽小説かと思う。読み進めると、ミステリーかとも思う。だがこれは、新潮社のファンタジーノベル大賞の受賞作なのだ。私は途中で「SF?」と思ったが、なにせこの賞はジャンルの解釈が恐ろしく広い。SFだって、広義のファンタジーの範疇でいいのだろう。 体の自由をなくしたヨーゼフには、このままではオルガンに触ることすら出来ない人生を送らなければならない。「音楽家になりたい」ではなく「音楽になりたい」という彼には、死んでいるのと同じこと。 彼の選んだ未来は「究極の選択」じみているが、読んでいる私にも想像出来るものだった。オルガニストの世界には随分とそぐわなく思えて「うそ〜」と自分でも半信半疑だったのだが。 芸術とは、こうも融通がきかないものか。 スポーツもそうだが、それらには身ひとつで勝負することこそに価値があるのだ、とされる。これが絵や文章であれば、頭さえ自前なら出力が自前のものでなくても、正当な評価がされる。だがテオやヨーゼフの前に横たわる音楽には、頭だけでなく演奏の技術も評価の対象で、だからこそ体を失えば諦めなくてはならなかったのだ。大切なのは正確さばかりでなく、込められる感情。それが感動を作るのだ、と。故に、ヨーゼフの恩師・ラインベルガーは、蘇った彼の演奏を諾とすることが出来なかったのだ。 結局、オルガニストとして…音楽家として、蘇ることの出来なかったヨーゼフ。彼は、望み通り「音楽に」なった。 そう、そのシーンが一番切なかった。ヨーゼフが、ではない。残されるテオが、切なかったのだ。 峻烈な生を駆け、望んで音楽になるヨーゼフに、平凡である故に音楽にはなれない…ヨーゼフに憧れても彼の元には行けなかったテオ。 私はヨーゼフではないが、テオではあるかも知れない。だから切ないと思ったのかも知れない。 この「オルガニスト」は、当初三人称だったのだとか。それは知らなかったし読んでもいないのだが、今となっては読みたいとは思わない。一人称だからこそ、テオの心を堪能できた。三人称にして、全ての事柄を追いかけてどうする。物語には語られるべき形があると思う。 私は、この「オルガニスト」に出会えて幸運だった。三人称の「オルガニスト」であれば、こんな風に評価出来たか、自信がない。
ネタバレなしで感想を書くのって、なかなか辛い。もっとつっこみたい箇所もあるんだよ。(今回、結構きわどいかな?) なので、今度サイトの方に感想文のコーナーを作ろうと思ってるのだ。日記の分に書き直す感じで、ネタバレあり。 近日中に準備します。よかったら、見に来てね。同じ本を読んだ人の感想も聞きたいので、そういうシステムも作る予定です。
さあ、次は何を読もうかな?
|