**裏ねこ雑記**
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2003年09月27日(土) |
風見くん 金曜エンタテイメント(TEAM4) |
実のところは心配していた。
「僕、生き」のすぐ後の撮影で 風貌はもろ中村先生のはず、
あのやんちゃな風見君が 今のクサナギツヨシの中で
果たしていつものように 生き生きと動き出せるかどうか。
痩せっぽっちのショボショボした長い髪の 風見君はたしかに「らしく」ないけど
綴ちゃんとのシーンのリラックスした表情や 全面的に季織ちゃんに甘えっぱなしの雰囲気やら 丹波さんとの例のやりとりだって
中身は200%の風見君だった。
内容はいつものように重く、 いや、いつもよりずっと重く感じ、
内君が演じている少年の 空洞のような虚無感。
傷つきたくないときの予防線。
感じない事。
年をとると涙腺が弱くなって ドラマの本編でも何度もうるうるしてたけど スペシャルでは今回ほど泣かされた回はなかった。
しつけと称する虐待は 新聞紙面やニュース番組でも何度も目にする事件だ。
親から子への暴力は だいたいが感情の捌け口にすぎないと思う。
しつけなら親のほうにも心のゆとりがある。
が、暴力のそれは「カッ!」とした瞬間には行われている事。 残るものは一瞬頭をよぎる罪悪感と、 その次にやってくる開き直り。
心に傷を負った子供はいつも置いてけぼりだ。
虐待を受けた子も、いづれ親になり、 そして、子供にどう接していいか分からず 虐待を繰り返す。
自分の子供よりも自分たち大人の生活が大事。 母である事を簡単に放棄する。
ドラマのテーマはこれだったけど、 そういう例ばかりではないはず。
感情の捌け口にされた子は 親になったときに 自分が親にされたときとまったく違う方法で接する。
反面教師。
答えはすぐには出ない。 その子が親になったとき、 その親の子がまた親になったとき、、、
あの内君が演じた少年は どう成長するのだろう?
いままで愛されなかった分、 これからいっぱい愛されるといいね、
相手を思いやる感情を 相手から大事にされる暖かさを いっぱい知ることが出来ればいいね。
刑事の立場ではない風見君の 少年の立場に立った少年事件簿。
クサナギツヨシの眼の演技が 私を泣かせたり、 笑わせたり、 ほっとさせたりしてくれます。
内君も素晴らしかったよ。 なんにも見えていない眼とからっぽの心の中に たくさん泣かされました。
今朝、偶然に地下鉄の車内で出会った友人に 「暗そうなドラマだったから見なかった。」と言われました。
えぇ、そうです、重たいドラマです。
「あぁいったドラマは、家庭内に何の問題も抱えていない 奥さん、お母さんは見る事が出来るよねぇ。」
その言葉に一瞬、引っかかりました。
もちろん、彼女の家庭には何の問題もありません。 でも、彼女の言葉は確信をついているような気がしてなりません。
心に闇を持つ母親は少年犯罪のドラマ等見るはずもありません。
もちろん、そういった人に見てもらおうという コンセプトのドラマではありませんが、、、
ただ、人の親として 加害者の親にも被害者の親にもなる可能性は同じようにあるわけです。
その時には(ないように祈ります)風見君のような 人の心の闇に手を差し伸べてくれるような人に会いたい。
「・・・そうだったんだ。」と泣いてくれる人に会いたい。
おっと、風見君はドラマの中の人でした・・・ね。。。。
ただ、気になった事。 競演しているみんなに比べて 風見君だけいやに老けたんじゃないかい?!
オープニングのVTRのあの風見君が恋しい〜
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