いきあたりばったり
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2006年01月08日(日) |
京都 de ランデヴー |
友人と知人の芝居を見るため京都に行きました。 芝居については、「きままにあるがまに」の記事を参照して下さい。
ちょっとだけショッピングして、ちょっとのつもりがずっと何かを食べ続け。 最後に芝居を見ました。 その後も何故か食べました。私のみ。
夜はお腹が減ります。 食べても食べてもお腹が減ります。
今ニュースで、若草山の山焼きが放映されています。 本来なら来週です。 とんどは、お正月の終わりのはずなのに。 まだまだ違和感をぬぐえません。 歳時記は必要です。
とりとめないけど、今日は幸せな一日でした。 昼に食った飲茶がおいしかった。安くて。 今日のほんわかテレビで放送されているらしいですよ。
もう一つ。 以前私はある夢を見ました。 秋口だったか、晩秋だったかは忘れましたが、それはりんと大阪であった夜の見た夢でした。 駅のホームでその夜の別れ際を再現するように、夢は進みます。 ふと、ジャケットのポケットに携帯の振動を感じて、「りんかな?」 と携帯を開けるとそこには、友人の名が。 夢の中の季節は、正月。 何故か正月。 そして友人に電話をかけ直すと、 「どうしたの?」 の声。 いや、あんたから着信あったからと私が話すと彼女はいうのです。 「あ、間違い間違い。」
同じ光景が今日、友人と別れた後の駅のホームで起こりました。
私は正夢をよくみます。 予知夢にならないのは、どの夢が現実に起こるのか分からないからです。 或いは、知りたくなくて分からないようにしているのかも知れません。 もの凄く些細な日常から、わりととんでもないことまで、現実に起こるより先に夢で見ます。 自分の潜在意識は、既に未来を見ているのです。 それをそっと夢に織り込んでいるのか。 うっかり落っことしてしまったのか。 どれくらい先のことを見るかさえ私には関知できませんが、 このところ3ヶ月以内ということが続いています。
不思議なことついでにもう一つ書くと。 私の耳は時々あり得ない音を聞きます。 パソコンや、電灯の電子音ぐらいなら誰でも、良くあることでしょうが 音漏れしていないウォークマンの音が、1階と2階でしかも、天井続きでなく、 隔絶されているというのに聞こえます。 それは突然。 2階の母の部屋のベッドで遊んでいたら、音が大洪水のようにわっと押し寄せてきたのです。 母は台所で食器を洗いながらウォークマンを聴いていました。 あまりにもうるさいので、なんて音で聞いてるのよ!と、母の元まで言って、お母さん! と怒鳴り込んでも、母は知らぬ顔。 そりゃそうです。 けれど、今此処流れてたやろ! と私が歌う箇所は、母の聞いているところとまったく同じ曲の同じ箇所。 でも、母のそばにいてさえそのウォークマンの音は聞こえないのです。 では何故あのとき、壁から沸くような大音響が聞こえたのか、未だもって謎です。 そしてこの現象はつい最近。 大晦日にも起こりました。 もともと耳はもの凄く良いのですが。 それとこれとは別でしょう。
誰かがいたずらするのかしら。 ときどき、私に。
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