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■ 戦い続けるのは 生きてる証なのさ
こんにちは。記念すべき493回目の日記です。
世間では3連休ですね。 学祭ですよ、こちとら。 二日以上も文化祭があるなんて人生初体験だよ…!一日居ないけどね! えー、明日は祖父の49日のために実家に帰ります。 最近実家に帰ってばっかりだな。 まだ一ヶ月しかたってないのにもう四十九日だそうですよ!大人の事情だよ!
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1ヶ月前、もう全身の臓器に水がたまって、回復はないでしょうと主治医に告げられたとき。 家族はなにも出来ないし、もちろん私だって何も出来ないし。 水でぱんぱんになって腫れちゃった手を握り締めたりすることしか、本当に出来ることがない。 あとは、祖父自身が息が続く限り体中に酸素を送り続けることだけ。
既に意識のなくなった祖父は、それでも苦しそうに呼吸を続けて、生きよう生きようとしていたのです。
それを見て、どうしてじいちゃんはこんなに頑張るんだろうと思いました。
一度危篤状態に陥って、私の声で意識を取り戻した後。 1年ほど前から痴呆の症状が出て、 既に実の娘である私の母のことすらわかっていないときがあった祖父ですが、 そこから数日間はまるで昔に戻ったように意識がクリアで。 本当にひさしぶりに祖父と昔話をしたりしました。 こういうことって本当に起こりうることなんだなって胸が熱くなりました。
母や叔母、祖母と言った本当の家族だけで話したり、祖父にとってとても充実した3日になったと思います。 そしてその3日目の夜。 再び呼吸が荒くなって、意識レベルが低下しました。 水浸しの肺で、一生懸命息をし続ける祖父。
祖父は苦しいのに息をし続けてた。 意識もないし、どんどん臓器の数値や心拍数は下がり続けてる。 本当に本当に苦しそうな息をする。
なんでここまでして生きようとするんだろう? じいちゃんは皆に見守られてるし、大きい病気をしたわけでもない。 寿命なんだから、もういいんじゃないの? 苦しいなら、もういいよ? その呼吸を止めてもいいのに。 だって万が一戻っても、また死を待つのの繰り返しでしょ?
もう会えなくなるという実感より、もうやめてよって思いのほうが募ったとき。 私耐え切れなくなって曲を聴きました。 ランダムでかかった曲は、on my way。 この曲が本当に大好きだから、かかったときはほっとして。 そのとき、耳に入った歌詞。
『戦い続けるのは 生きてる証なのさ』
なんか、素で涙が出た。 そうなんだ。 じいちゃんは生きてる。 どんな状態であれ、生きていて。 今、戦ってるんだなって思った。 戦うことが生きている証。 意識がもう二度と戻らないとしても、どんなに苦しくても。 じいちゃんは自分の肺が呼吸をしようと動く限り、それをし続ける。 溜まった水が右の腕の皮膚から漏れ始めても、息が続く限り、ずっと。 そうして、2日目の正午に、ゆっくりゆっくり息を引き取りました。 じいちゃんの戦いが終わって、生きてる証が刻まれたんだなって思いました。
戦い続けるのは、生きてる証。 戦うのは生きているから。 生きることが、戦い。
祖父にはいつも教えてもらうことばかりです。
さー、地元に最終バスで戻るぞー。まっててねじいちゃん!
2006年11月03日(金)
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