| 2004年02月16日(月) |
ファンタジーと生きる |
家に戻る。 久しぶりに身をきるような乾いた寒さにふれ、 すがすがしく思う。Aも水溜りの氷をみて喜んでいる。 山々は白く輝いている。
借りおいてあった「ゲド戦記」を読む。 その�兇里弔發蠅�その�靴任△辰燭海箸傍い鼎�、躊躇するが 読むのをすごく楽しみにしていたので、かまわず読みはじめる。
てっきり子供が英雄の話かと思っていたが、 物語後半の主人公は既に若者ではなくなっている。 この分だと最終章では初老の男になっているはずだ。
ハリー・ポッターよりも数十年前に書かれたこのファンタジーは、 色々な作品に影響を与えているように思える。
まず魔法の学院で魔法使い候補の少年達が学ぶ、という場面で思い出すのはハリー。
それから少年時代の主人公ゲドが、自分自身の悪や憎しみなどの「影」と向き合い、受け入れ一つになることで強さを身につけていく、というくだりは、 村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。 (ついでに言うと「世界の終わり」という概念もゲド戦記に出てくるのであった)
そして、物語全編にわたって表現されていることであるが、 人には仮の名前と本当の名前があり、本当の名前を悪意あるものに知られ、 奪われると力を失うという設定は、宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」に 登場する「ハク」という川の神の化身である男の子がまさにそのものだ。
いずれにしても、優れたファンタジーというものは、 安っぽいハウツー本、いや優れたハウツー本の何百倍もの 生きる力や、生きていくために必要なノウハウを教えてくれる。
ファンタジーというと夢見るような話と誤変換されがちなのが残念でならない。最近のゲーム業界やアニメ業界も一役かっているように思う。
本質的なことは、現実的なことを背景にしなくても伝えられるものだ。そして、(特に読書において)少なくとも私が得たいものは本質的な示唆なのだ。
「海辺のカフカ」に書かれていた、「想像しなさい。世界はメタファーだ。」という村上春樹の言葉を本当にそう思う。全ては自分の内側にある。
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