浦和レッズの無観客試合ですが、もうちょっと推し進めてですな、出禁になったサポーター3人だけをゴール裏において観戦させる「天覧試合」という罰にしてもおもしろかったんじゃないかと。もちろん中継して。ファンとか選手とかからの悪意を一身にうけて耐えてもらうっていうのはなかなかいい味の罰だとおもうんですが。
しかし、気持ち悪いですな。この問題でのJリーグ関係者のコメントとかで、「スポーツはすべての差別を超える力がある。」とかいってるの。ウソをつくにしてもここまで正反対のウソをこかれると気持ち悪いです。そもそもスポーツ大会なんてナショナリズムの菌床みたいなもんで、サッカーなんてその最右翼みたいなもんでしょ。実際どんだけのスポーツが「国威発揚」目的でおこなわれてきたか。
それは古いというご意見もあるでしょうが、最近もどこかで「冬季オリンピックの出場者は国を背負って・・・。」とかお話になってたバカがいましたねえ・・。まあ、フルぼっこにされたあげく、賞味期限切れの女芸能人にも振られたようですが。
なんなんだろう?このスポーツにはすべての悪を善的なものに変える力があるみたいなスポーツ万能妄想。スポーツなんてそんないいもんじゃないですって。かりにいいもんにしてもその程度のいいもんなんてそこらじゅうに転がってますって。一枚床板ハゲば汚い世界も転がってますって。「友達教」に続いて「スポーツ教」とも私は闘わないといけないんか?
実際問題、スポーツでナショナリズムはなくなりません。むしろ促進されます。だったらですな、むしろ「良質な」ナショナリズムの教育の場にした方がいいんじゃないでしょうか。右も左もピンキリですから、スポーツは「右」の「ピン」を教育する場にしてしまえば。あれですよ、「自国の文化を愛しつつ、他国の文化の理解に努める」というキラキラ右翼ですよ。そういうものを教育する場にしちゃえばいいんじゃねーのと愚考する次第です。
ちなみにその場では一番の敵は、ネトウヨとか竹田君とかの「低質な右」が一番の毒になります。そこらへんの駆除は重要ですな。
あと、どっかで上質な「左」を育成する場も必要なんですが・・・なかなかないねえ。
でも今回の3人はゲバラの旗と旭日旗が混在するサッカー場というカオスな菌床で自然発生的ににそだったナショナリズム天然原種ですから貴重なサンプルとして国家的に保護してもおもしろかったかもしれません。どういう経緯でナショナリズムが熟成されるかの貴重なサンプルになったかもしれないのになあ。
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