2005年11月08日(火) |
あの世について・1 今までのこと |
これから数回分の日記に関しては 拒否反応を示す人もいるかもしれないし 「むらぽん、とうとう(やっぱり?)おかしくなっちゃった」と思う人もいるかもしれませんが なんか、書かなければいけない気がするので、書きます。 長くなりますが、よかったらおつきあいください。
「ホラー女装」を標榜していながら 僕は今まで、不思議な体験をしたことはほとんどありません。 強いて言えば
・高校2年のある日、家の靴べらの先がポキンと折れてて、変だな…と思ったら、その日の柔道の授業で右足人差し指の骨を折った ・数年前、引越しを考えて夜中にいろんな物件を見て回った時、ある物件の裏手にある駐車場が妙に怖かった(一段深い闇で、「この中に入っちゃいけない」という気がした)。変だな…と思ってよく見たら、その物件の隣りがお寺だった。あの駐車場は、墓地の跡地?(未確認) ・僕が生まれる前(両親が結婚する前)、山口の母の実家が山津波に襲われたが、その時母は、父宛ての手紙を出しに郵便局に行っていて無事だった。帰ってきたら、今まで座っていた座敷の、ちょうど母の頭があったあたりを、大木が貫いていたらしい。また同じ頃、青森に住んでいた叔父のギターの弦が、全部切れた ・自分が頭で考えた選択が間違っていると、必ず軌道修正が入る
くらいの出来事が、身の周りにあっただけです。
それでも、子どもの頃から、「霊」や「あの世」の存在は9割方、信じていて 毎晩寝る前には、何となくお祈りをして 神様や仏様、守護霊様、ご先祖様、観音菩薩様、お地蔵様に (どの方に話しかけたらいいのか、よくわからないので…) お願い事をしたり、お礼を言ったり、文句を言ったりしてきました。 誰かに見られたら、かなり危ない人だと思われそうです。
で、ここ数年は、佐藤愛子さんの「私の遺言」や江原さんの本を読んだりして 世界の仕組み?について「そういうものかもしれないな」と思っていました。 江原さん、最近テレビで見るとちょっと胡散臭いけど 「人は、自分が克服するべき課題を設定し、そのために適した家や場所、容姿などを、自分で選んで生まれてきている」とか 「人はこの世でもあの世でも、自分が出しているのと同じ波動を持った人や出来事としか出会わない」とか 本に書いてあることは、結構いいなあ、と思うのです。 「何で自分だけが」とか「こうなったのはアイツのせいだ」とか 本当に思わなくなるし (というより、歳をとってそういう感情が抜けてきたところに、この考え方がぴったりきたのかもしれません) 結局その方が、自分もラクなんですよね。 人のせいにしたりすると、その瞬間はストレス発散できるかもしれないけど 心の奥底で、何かが「違うッ」と叫んでいて なんか、スッキリしないものが残ってしまう。
ただ、何せ、目に見えないことなので 自分の中では「暫定的に信じている」という感じが、どこかにありました。 「あの世」の存在にしても
・「あの世はある」と信じていた場合 …死んだ後、実際にあの世があったら対処できるし、もしあの世がなくても、そこでおしまいなので困らない ・「あの世はない」と信じていた場合 …死んだ後、実際にあの世がなければ問題ないが、もしあの世があったら、対処に困る
ので、「あの世はある、と信じていた方が、どちらにも対応できて便利だな」と 思っていたわけです。わー、打算的。
しかし、ここ数か月(特にこの1か月)は びっくりするほど次々と「生」や「死」に関する出来事に襲われ 完全に人生観を変えさせられた…というか 少なくとも「人間、死んだら終わりではない」ことに関しては 100%の確信を持つに至りました。
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