�蠧�記
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やっぱりすきだなーとおもう。アイスバーをなめるみたいに。
求められたことを素直にすることにとても抵抗があるときがある。片付けといて よ、わかってるわよ、と内心思ったり。
乳児があやされて笑い、はいはいをしたり、立って歩くようになる時、やはり、 そこには自然の力が働いている。
40になったとき、例えば私は目は悪いが、歩くことができ、そして、地図を 見てかろうじて地理をイメージすることができ、いろいろなことをしたいと 願うことができる。息は苦しいが。その人によってのびるところが違ってくる。
子供が父親と会話するのを喜ぶことができるし。
例えば片付けがしんどいならば、人に頼むこともできるのだ。自分で片付けられた時の気持ちよさもあるけれど。
そして、ここに感じたことの一部を書くこともできる。自分だけの力ではないけれど。これは誰に強制されたわけでもないのに何故書くのだろうか。生きるのに食べることが必要なように、伝えたい言葉を持つように、書くことは、例えプライベートなものでも、生のほとばしりだから。
苦しい時、もし小鳥だったらこんな思いはしなくていいだろうかと思うけれども。 鳥だって人だって必死できたと思う。
鳥にできて人にできないこともあるけれども、人にできて鳥にできないこともある。
海の中の生き物が陸に上がり、そこで生き延びようとして、からだが軽く羽を 持つようになるならば。牙を持って生き延びるもの。毒をもって生き延びるもの。
人が何百年何千年かけて飛行機やジェット機を作るならば。
生きている自分にも神秘がある。
何も考えずに委ねられる時。幸せだと思う。どうしてそういう時があるのだろうか。ただ和して感じたいだけ。回数を重ねるごとによくなる相手というのはとても貴重な気がする。でも、それだけでつながっているのかな?肉欲って精神と不可分 ではない。何も考えずに交わった?顔色を伺ったでしょう?孤独だったから欲しかったのだ。その受け取れるエネルギーのバランスは、やっぱり自分だけの努力ではないけれど。
全盲の人はどうして感じるのかな?心地よい音、安心な雰囲気を。
ヘレンケラーはどうして受け取ったのかな?サリバン先生の伝えんとする意志を。
そういえば、ドイツブラジル戦は日曜か?
ドイツとブラジルってやっぱり雰囲気違うなーーー。大分に。
頭寒足熱ってそういえばこの間頭に砕かれた氷乗せてたのになあ。
何と私よりだいぶ上の世代と思いますが、沢田研二さんの、おちていくのも しあわせだよという気分で、上昇気流には乗れませんが、少なくとも守りたい ものはあるということで。
それにしても、やっぱり要求されることは必要ですよね。
例えば家と学校との間の往復だけで、寄り道がほとんどなかった私に、車の 運転免許が必要と娘の家で言われたお陰で、どんなに世界が広がったでしょうか。 地理感覚が少しはできましたよね。免許の更新には執念を燃やせませんでしたが。
必要は発明発見の母でしたっけ。
今いられるところでよりよく生きなきゃ。
明日6時に出るとすると、5時45分に出るとして。
明後日に出かけるとすると、明日髪も切りたいし。写真も取ってくるとして。
忙しいな。
大阪旅行記もまだその4書きおわっていないというに。
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