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2002年09月01日(日) 修道院

近所のカトリックの日曜学校に出席したいと思いました。10時頃かな、と思いました。でも少し10時を過ぎてしまいました。教会の入り口の戸を少し開けてみると、やはり何か集会の最中でした。でも気後れして入っては行けませんでした。
入り口の外で、賛美歌のような歌がもれてくるのを拝聴しておりました。
ご自由にお取り下さいというパンフレットをいくつか頂いて帰りました。生憎財布は持っていませんでした。今度持っていきます。250円。だって8月号は250円とか書いてありました。でも、それ以前の号だと、ご自由にお取り下さい、とところに置かれていたので、自由に取ってよかったんですよね。でもカトリックの相談でもやっぱり3千円から5千円とか寄付が必要なんですね。弁護士さんでもそうでしょうね。最低でも1回5千円はかかるのですね。そういうものなんですね。独力で自力で働いてそれを払おうとするのは無理でしょうか。例えば夫にお金を借りて、後で返すとか。信用がないでしょうか?

修道院のHPを検索してみました。私が女子修道院に入るのは無理でしょうか。

神様は死んでもいいよとおっしゃっているような気がする。でもどうして私は
死を恐れるのでしょう。

神は私をも愛しているということだ。わたしの喜びや悲しみを共にして下さるのであれば、私の悲しみくらい理解している。そんなことは当然だとおっしゃるのだろうか?

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、か。

それにしても、独身の人は、結婚しないで済むならしない方がいいんじゃないか
と思う。人のことはいいか。もしやり直せるならば、一生独身で修道院で過ごしたいと思っただけのこと。ならば、これから考えてもいいのではないかと思ったのだが、今の場所で奉仕活動しなさいってところですね。眠ろう。

いつになったらお迎えがくるのかな。200年とはかからない。

身を捨てて、永遠の命を得る。このかわいいわが身を捨てれば永遠の命が得られる
のかな。

死んで花実が咲くものか、だよね。死んでもいいけど、もし明日死ぬとしたら
何をしたいかな。

離婚して一人で生計を立てていきたい。わがまま?無理?やってみなくちゃわからないですよね。夢か。

ところで中国が京都議定書の批准書を提出したんですね。大変だけどいいことですよね。環境がよくなるといいですね。だったらそろそろクーラーを消したら?って
まだクーラーつけていたいんですよ〜。

ちょっと今カトリックの信仰のパンフレットを読んでいたのですが、やはりかなり
血生臭いかんじがしました。

だって、拝領唱(ヨハネ6.54)っていうの、

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持ち、わたしは終わりの日に、その人を復活させる。

でしょ。怖いことおっしゃってますよね。普通の人には言えませんよね、こんなこと。

そうですか、ではでは失礼して、ということで、例えばハンニバルレクターみたくな人が、がぶりって噛み付いて生きているイエスさまのほっぺとかを美味しそうに食べてしまったらどうするんですか。

やっぱりイエスキリストってただの人ではないですよね。愛の人ですね。

私なんて清らかとも思えない男の子に、何の根拠もなく、薄汚ねえな、って言われた事あります。

主人にも、私の血を汚いって言われたことあります。

こういうことはたぶんよくあること、普通のことでしょうね。

私の血が汚いんだったら、パパさんも汚いんだ。

神の様にイエスキリストのように神の子のように全くあれというのだったら、私も、言わなくちゃいけませんね。

私の血を飲む者は、永遠の命を得る、私は最後にその人を蘇らせる。

って?

嫌な感じ。何で生まれてきたんだろう、って思っちゃう。

活かすことってできないの?

あるからとか、余力があるから差し上げるのでは福音の精神ではありません、というケルンのフリングス枢機卿の言葉というのを拝見して、なるほどな、余裕があるから差し上げるのではなくて、余裕がない時こそ人を援助するということに意味が
あるんだな、と感心したりする。

しかし眠りたい。


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