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2003年07月06日(日) お祈り

鈴虫のリンちゃん今晩は鳴かないので、生きているかと髭を触ったら、ぴゅ〜〜〜っと逃げていった。生きてる生きてると思う。

あ、今、鳴いた。

とにかく、今は苦しいのがやっと引きました。やった〜〜〜!

今作っているHPの中で、神様にお祈りしました。なんてお祈りしたんだったかな?
心の乱れを正してください、ってお祈りしたみたいだ。今は乱れていないし、涙もろくもないものね。ぶわっかじゃないの?ぽよよんちゃん。って気分です。だけど
どうしようもなく胸がしめつけられて苦しかったのは確か。それは、3人くらいで人とチャットしていて、ある人がもう一人に何気なく言った言葉に、ものすごく
反応してしまったんです。その人は私を苦しめようとそれを言ったわけでは毛頭なく、本当に普通の会話。でも、私はその言葉で、嫌な気持になった以前のことの
一連が、走馬灯のように押し寄せてきて、どうしようもなく胸が苦しくなりました。

今はそのことが嘘だったみたいに胸が苦しい感じもすっかりなくなっている。おいのりの成果だろうか?今それらの過去の嫌な一連の出来事を思い出しても、それ程
胸が締め付けられたりしないし、苦しくもない。あれは何かパニック症候群のようなものかな。

中毒症とか依存症とかいう言い方があるけど、人が何にも依存していないなんていう状況は有り得ない。買い物依存症、だとか、ニコチン中毒、宗教は麻薬だ、とか
見方はあるけど、本人が、それを必要としていたら、つまり煙草を止めても、神に
祈ってすがってしまうことだって依存症には違いないわけだし、逆に、信心深くなくても、薬や煙草を無条件で受け入れているということもあるのだから、どっちみちたいした違いはないと思う。ファッションとして、自分にとって、それほど悪く思えないかどうか。例えばマルクスは宗教は麻薬と同じと見えたわけだし、うん、確かにそうだという気もする。しかし、共産主義もやっぱり麻薬と同じようなものじゃないか、という訳で、あまり感心しない人もあるわけで、自分にとって何かがイケルぜ、と感じたら、あるいは、それほどでもなかったつもりだったがそれをやめようとすると結構禁断症状が出てしまって自分はそんなにこれに依存していたのかと思い知らされざるを得ないとしたら、例えばいくら酒や煙草を断ったところで、自分が落ち着くもの、安心できるものを、どうしても喉をかきむしるように
求めずにはいられないと思うのだが、それは、私があまちゃんだからかな。



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