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私は結婚の時に、自分が赤ん坊の頃からの写真集アルバムを、黒い台紙にしていました。最初の結婚の時、普通ならば白いドレスだと思いますが、黒いドレスを買ったのでした。それは一体何故だったのだろう?まったく理由など自覚していなかったのですが、今日、白いアルバムを買ってきて、綻んでいる黒いアルバムのなかから、写真だけ白い台紙の新しいアルバムに移し変えたら、何だか今までの自分の 心の拘りが解けたような気がしました。 私には5つの頃に次兄に顔の上に猫を落とされて傷がついたにも関わらず、母に、 お兄ちゃんは大きくなったら整形手術を受けさせてやると言っていると聞いて、 悪いことをしたと思っているのだな、と思って、別段怒ることも無く10代を過ごしたのですが、長兄に対する普通の妹の感覚よりも、次兄に対して複雑な感情があって、それは時折憎しみのようになることがあったのでした。 しかし白いアルバムの中の次兄は、やはりすこぶる優しい兄で、実際もそうなのです。それが、今日、生まれて数日くらいの私を抱いた次兄の嬉しそうな表情を見ていて、私の恨みは、氷解しました。10代の頃は、まだ自分の感情をそれほど自覚していなかったのですが、最初の結婚、二度目の結婚を経て、私の感情のぶれは非常に激しくなって、その矛先は、わけのわからない夫にまで向けられたりしたのですが、それを持て余して自殺願望が強まるばかりでした。憎悪は自己嫌悪を引き起こす。大げさのようですが、そうでした。自分は幸せだと思い込もうとしても思い切れない私は本当に幸せではないのではないかとさえ思うようになっていました。こんなくだらない私が生まれてきた事自体が間違いのようにも思われました。 でも、アルバムの中の自分を、今ではおばちゃんになった自分の目から、愛情に包まれて育ったお嬢さんとして眺めると、やはり不可抗力のこの傷も、かえって それが縁で今この様にかわいく頼もしい子供たちにも恵まれることになり、辛抱強い夫にも助けられて、うんやはり恵まれていると今感じています。 単純かな?いいきなもんだ、ってはきすてられそ。しかし、赤ん坊の頃の写真 というのは、何かを洗い流してくれることがあります。 やっと喪があけた、っていう感じ、と主人に申しました。 それにしても、3人兄弟のうちで一人だけ里子に出された経験のある次兄には、 それなりに心の闇があったのかもしれないと思います。それはそれとして、アルバムは、やはり幸せの肖像ですね。刺さって疼いていた言葉の刃も、問題ではなくなりました。
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