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埼玉の大学教授の方は人質を取った集団を経験を積んだ計画的な集団だと仰るが、イスラムの編集長はコーランなどの引用がないので未経験の集団ではないかと思うと仰る。私は未経験なのではないかという気がするのですが。どちらでしょう。
うちの旦那さんは土曜日は平常の仕事です。
さて、私の今日の仕事は。
ちなみにうちにある由紀さおりさんと安田祥子さんの童謡のCDの歌声は素晴らしいです。 ゆうべはうちの息子はそのCDに合わせて輪唱しておりました。
それにしても言葉というのも怖いものです。 自衛隊が撤退しなければ三人を燃やすという声明を三人を人質に取った武装勢力は出していますが、一方松井ファンは『燃えろ松井!』という声援を送っている。
子供の体操服のゼッケン付けにてこずっております。背中にはつけたのですが何とか。胸にもつけてしまわなければ。あともう少しだ。 何故か裁縫箱の中にまち針が一本も入っていないのでやりにくいのです。沢山あったはずなのにどこへ行ってしまったのか。
下手糞だけれど、一応ゼッケンをつけた。
ところで、人質を取ってたてこもった犯人というのは、ひょっとすると、お子さんを空襲などで燃やされてその子をちゃんと葬ってやることもできなかったのではないだろうか。気の毒な人なのではないだろうか。 首相には卑劣な手段と責める前に、同じ子を持つ親として犯人に呼びかけて欲しい。
息子はピアノやキーボードよりもクラリネットをふきたいと申します。 クラリネットは家ではふけないな。学校の器楽クラブで何とかしてもらわないと。 買うのはピアノより楽かもしれないけれど。 ちゃんと耳に耐える音でふくのは難しいと思うのだけれど。 思うのだけれど、クラリネットがいいと息子は申します。 クラリネットの音がそんなに好きなのか。
ところで、今は主人と穏やかにやっていますが、私は殺してやるという勢いで 眠っているうちの主人の首を締めかけたことがあります。
ところで先日うちの息子は大真面目な疑問を私に投げかけてきました。 赤ちゃんができるには精子と卵子が結合する。その精子だか卵子だかは0.2ミリなんだよね、というような情報を既に持っているらしい。0.2ミリは卵子だ、精子は何ミリかと尋ねると、0.05ミリだと息子は言う。 しかし息子にはそれにはどういう風な状況になるものなのか?という大きな疑問があるらしい。 私はつい先生に聞いてみてと申してしまいました。先生困ります? ちゃんと真面目に答えたいと思うのだけれど。 かくいう私は中学で初潮指導という映画を学校で女子だけ体育館で見せられて 男の子がなんだなんだと覗きにきたがっていた様子を思い出すのですが、実は私は その時はまだ初潮が始まっていませんでした。それだもので、なるほど、女の子の お腹の中に赤ちゃんの栄養を貯めておくところがあって、それが時々出てくる、と いうのはわかったのですが、母にその話をして、母が、血が出るんでしょう?と 言ったのに、違うよ、赤ちゃんの栄養だよ、と言い張ったのです。 後で考えてみると、その血が赤ちゃんの栄養だというのがわかったのですが、 映画ではナプキンのコマーシャルのように青いような色づけがされていたので、 その栄養が赤いものだとはわからなかったのです。
午後三時過ぎ、いいお天気なので、自転車に乗って最寄の駅まで初めて行ってみました。JRの駅でしょうね。 主人の勤め先も歩いていけるところで、そのあたりは商工業地帯でしょうけど、 桜並木が満開できれいです。それを横目で眺めながら、地図で探して駅の方向へ 参りますと、田園地帯が開けてきます。駅に近くなって肥溜めの匂いがしましたが、嫌な感じではありませんでした。 驚いたのは、駅に改札がないことです。電車に乗ってから車掌さんから切符を 買うんですね。駅は無人と言ってよく、勿論利用者はひっきりなしにありますが、 駅員さんはいないみたい。切符入れの箱に、ご利用ありがとうございました、とか 書かれていました。私が幼稚園の頃にまだあった東京の都電に似ていないかな。 主人や子供と新潟へ初めて参りました時にはレンタカーだったので、駅の様子は 存じませんでした。 でも気に入っちゃった。 その駅の近くにお寺さんがあって、それが娘がいるところと派閥はちがうけれど 宗派が同じなので、唱えるものが同じ、大鐘とか、お墓に刻まれているものが同じ、娘のところは既にその村の伝統だった紙すきを受け継いでいるところも数少なく数えるほどになっていて水洗トイレだったけれども、耕運機がことこと走るあとを自転車で追いながら、私はここもいいところだなあと思いました。そのお寺さんには、仏を想って我は生き、仏を忘れて我は惑う、と書かれていました。お賽銭箱は見当たらなかった。しかし奥さんが車でお子さんの送り迎えをしている地元のお宅をすすけた自転車で眺めている私はどうも小作人階層であって地主さんたちとは生活が違うけれども、でもこの空間は悪くないと思いました。 お庭の大型犬も遠くに雪山の山脈を眺められる。広い視界。でもそれはワンちゃんにも当たり前過ぎて有り難味が感じられているかどうかはわからないけれど。
突然フランス革命の時にマリーアントワネットが息子から引き離される時に お慈悲を!あなた方にもお子さんがおありでしょう?と言うと、そうとも、わしらには子供がいた、しかしわしらの子供が飢えて死んでいく時にあんたはきれいな 洋服を着て笑っていた、パンがないならお菓子を食べればいいじゃないの、って 笑っていた、という情景が浮かびました。
でもお子さんを亡くした人がみな戦士隊になるわけでもない。
家族を亡くした悲しみに暮れている人がそんなことができるだろうか。なって しまう?
不満分子には違いないとしても。貧しさだろうか。だが貧しい者が皆暴挙に走るというわけでもない。無抵抗のホームレスの人をいたぶり殺した若者があった。 貧しい無抵抗のホームレスをいたぶった若者を認めるわけにはいかない。
無事を祈ることしかできない。無力かな。
そう言えばこのところ薬飲んでないなあ。
ところで今晩はオムレツの鶏そぼろあんかけ。
今度入居した建物はオール電化。スイッチの違いとか加減の違いなどに戸惑ったけれど、何とかオムレツのあんかけできた。ゆずの香りづけです。
お金持ちとも言えないけれど、極貧とも言えないかも。
友人だと思っていた日本がイラクを攻撃したアメリカの肩を持った。その裏切られた気持ちは無視できない。 でも日本には日本が生きていく道を探らなければいけない。人質を取って 脅す人を全面的に認めることもできない。
虎の威を借る狐?犬?も生きていかなければならない。と言ってくれるのは虎の大きさだ。犯人と同じだ。 生きようとすること自体が罪なのだろうか。原罪。原罪とは違う。私は罪を犯したことがある。夫との公の約束を履行できなかったことがある。子供のために許されて生かされてきただけなのだ。夫の心がひろかっただけなのだ。私は悪妻だったのだ。でも母は大地のはず。だから私はもう存在しない母を呼んだの?父の心を殺した後で?
悪いことをするな。いいことをしなさい。と聖徳太子はおっしゃった。どうするのがいいこと?悪いといわれることをしないこと。不殺生不盗不邪淫偽証しないこと。いいことって何?和をもって尊しとす。自分が必ずしも正しいとは限らない。 彼が必ずしも間違っているとは限らない。 誰か一度も罪を犯したことがないものが彼女に石を投げなさいとイエスは言った 誰も投げずに立ち去った。
二匹の金魚は元気だが、一匹ちょっとおかしい。薬が体中にこびりついちゃった。よたよた泳ぐ。おかしい金魚に祈る。立ち直って欲しい。
でも思う。私は良妻賢母ではない。しかし私にお前は男の子に石を投げられる ようなところがあると言った夫の言葉も暴言だ。だって私が三つの時私に石を投げた男の子にも私の顔を傷つけた兄にも私は石を投げたことはなかったからだ。どうして石を投げられたのか理由を聞かせて欲しい。私はその男の子と何も約束もしなかったし裏切ったこともない。
私は独身であるべきだったろうか?と思っても、後悔はできない。だって子供欲しかったし、生ませてもらったの後悔できない。
帰宅した主人が、息子に、どうしよう、金魚三つ目になっちゃったよ、超能力金魚、などと言っています。
一匹赤い和金が青魚になっちゃった。緑の薬漬けで。頭にこぶがぷっくり。水泡みたいなこぶだ。少しおかしい。三半規管が弱っている気がする。他の金魚より 餌に食いつきが弱い。でもそれなりに一生懸命泳いでいる。青ちゃん。他の和金より出目金になっちゃった。
私もちょっとおかしいんだろうな。
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